この話は実際に私の身に起きたお話です。
高校を卒業し、一念発起して地方から出てきて、都内の某区に移り住みました。
私は当時とにかくお金がありませんでした。
節約したかったので、家賃3万代の安いアパートに住んでいたのです。
せっかく地方からでてきたので、なるべく都心。それも駅近の便利な立地を希望していました。
立地を優先すると、設備をあきらめるしかありません。
最終的にはかなり年季の入った築50年以上のボロアパートしか選択肢がなかったというわけです。
トイレは和式で、風呂はついていません。それでも駅近で家賃3万代は破格だと不動産屋は教えてくれました。
たしかにコンビニや銭湯も近く、コインランドリーもあったのでそれなりに我慢すればやっていけるかなと踏んでいました。
部屋は1階の角部屋でした。壁が薄いので、隣や上の階の住人の生活音が気になるかな?と思いましたが、幸い隣の部屋は空室らしく騒音はさほど気になりませんでした。
むしろ外を徘徊する野良猫の鳴き声が気になるく程度です。しかし実家で猫を飼っていたので、それもだんだん慣れました。
2カ月ほどたったころでしょうか。どうやら隣に住民が引っ越してきたようです。
いつだったか、明け方バイトから帰った際に、白いカーテンが半分開いていました。
隣の部屋は畳の養生のため、空き部屋だったころからずっとカーテンがかけられていたのですが、それが少しだけ開いていたという感じです。
しかし私は夜の居酒屋バイトをしており、基本昼夜逆転の生活だったので、隣の住民と会うことはありませんでした。
ただなんとなく人の気配というか、たまに生活音らしきものを感じるようになりました。
それから一カ月ほどたったころでしょうか。
その日はたまたまバイトがお休みで、20時ごろまでだらだらと横になっていました。
すると突然、今まで感じたことのない「ドン」と壁を叩くような音が隣の部屋からしたのです。
なんだ?何か落としたのかな…と気にせずまた目をつぶると再び「ドン」と鈍い音がします。
始めは上からかなと思ったのですが、方向的に隣の部屋からのようです。
「ドン…ドン…ドン」音はだんだんと一定のリズムになりました。
隣の部屋とは間に押し入れを隔てているので、それでもこんなに音が響くとは意図的にやってるとしか思えません。
なんの嫌がらせだ…せっかくの休みなのに…。
そう思って私は押し入れを開けると、隣の部屋の壁に向かって一発蹴りをいれました。
これでおとなしくなるかな?ちょっとやりすぎたかな…と思ったのですが、その瞬間は静かになりました。
『分かってくれたか…。』
そしてなんとなく目が覚めてしまったので、インスタントラーメンを作って食べ、また横になりました。
気が付くと時刻は0時過ぎになっていました。
すると、また「ドン」と隣から音がします。
『なんなんだよ…』
もしかしたら、いつもこの時間バイトなので気が付かなかっただけで、隣の住民は夜にこの騒音を出していたのか…?
私は再び押し入れを開け、さっきより強めに蹴りました。
「ドン!バキ!」
なんと…押し入れの奥の板に穴をあけてしまったのです。
『や、ヤバい…』
すると隣の部屋の音はぴたりと止みました。
『とりあえず、静かになったけど…穴が開いているのはまずい…明日管理会社に報告するか…そもそも隣の騒音がきっかけだし…それも苦情をいってやる…』
翌朝、私は管理会社に電話しました。
「隣の人が夜中に壁をドンと叩いて眠れないので無言の抗議をのつもりで壁を蹴ったら、穴が開いてしまいました。」
私は事実をそのまま伝えました。
しかし、管理会社の方は不可解なことを言い始めました。
「隣は、まだ空き家ですけど…」
「え?」私はその瞬間血の気が引いたのを覚えています。
しかし、思い直しました。
家の構造によっては、上の生活音が横から聞こえてくる可能性もある…ということは、上の住民だったのかもしれない…。
恐怖のあまりそう思い込もうとしたのかもしれませんが、だとしたら隣の部屋に向かって壁を蹴り穴をあけてしまったのは、完全に私のミスというか…この場合どうなるんだろう…。
思いを巡らしていると、さらに管理会社の人は恐ろしいことを言いだしました。
「ちなみに上の人はですね…その、先月引っ越したんで、ちょっとそれもあり得ないんですよね…」
「引っ越した?」
「はい、実は夜中に下からドンドンって音がするって苦情を言われまして…でも、階下の○○さんは基本夜いないじゃないですか…それを伝えたら、気味悪がっちゃって…」
そんな…確かに気味悪いですよ…私もできれば引っ越ししたい気持ちです。そんなセリフをぐっと飲みこんだ。
「ちなみに…隣はなんでずっと空き家なんですか?」
「隣ですか?隣はわからないんですよね。家賃滞納したあげく、雲隠れ…不景気なんで、まあよくある話なんですけどね」
ここで私はカーテンの事を思い出した。
「カーテンがかかっているんですけどあれは…」
「あ、その住人の方がつけてたのそのままにしてあるんですよ。」
「この前、そのカーテンが半分開いてたんですけど…」
「え?そんなはずは…畳の養生のためにつけてるんで、それは困るなあ、とにかく壁の状況も見たいので、今日の午後確認しにいきますね」
そういって電話を切りました。
私も夜からバイトだったのと、とにかくあの音の正体が気になったので、管理会社の人と一緒に隣の状況を確認することにしました。
16時過ぎ頃、管理会社の方が来ました。
西日が射す部屋に入ると管理会社の人はまずカーテンを確認しました。
「あれ、ちゃんと閉まってますね、良かった」
確かに、先日半開きだったと思ったのに…気のせいだったのか…。
「ん?この向こうが、○○さんの部屋の押し入れのはずなんですけど…壊れてないですね」
「え?おかしいな…たしかに、貫通したはずなんですけど…」
「でもよかったじゃないですか、修理の必要はないです」
私は正直混乱しました。
カーテンの件は私の見まちがいだったとして、押し入れは明らかに貫通したはずなのに…。
「すみません。私の部屋に来て、一緒に確認してもらえないですか?」
「ええ、いいですよ」
私は管理会社の人を部屋に招き入れると、押し入れの中を確認してもらった。
ほんとうのところ気味が悪く、自分1人で確認するのが怖かったのだ。
「あ、確かに…あいてますね」
管理会社の人はおもむろに胸ポケットから取り出したペンライトをつけると、穴を照らしながらそういった。
『良かった…これは勘違いじゃなかった。ということはどいうことなのか…。』
「これは…あれですね、二重構造で、隣の部屋とこの押し入れの間に空間があるということですね…」
「それって、よくあるんですか?」
「うーん…あまり無いというか、こういう古いアパートではあまり見ないですねえ…断熱材とかなんかはいってるわけでもなさそうだし…」
「あの…音も気になるし、その隙間を見てもらうことは可能でしょうか?」
「いいですよ、いずれはこの穴も修理しないといけないんで」
それを聞いて私はほっとしました。
その日、私はそのままバイトに行き、そこからは昼夜逆転の生活になったので不可解な「ドン」という音をきくことはありませんでした。
数日後、修理業者が入るということで、私も昼間は自室にいたので業者の作業に立ち会うことにしました。
大工さんが私がけ破ってしまった板を慎重に外していきます。
すると年配の大工さんが悲鳴を上げたのです。
「な、なんだこれは!」
板をはがすと、そこから、たくさんの骨や毛がでてきたのです。
一緒に立ち会った管理会社の人も腰を抜かしていました。
ただ、骨は大きさからして人間のものではなさそうです。
とにかく気味が悪かったので、すぐに管理会社の人は警察に届けました。
結局調べてもらいましたが、その骨の正体は猫のものでした。
不可解なのは、1匹だけならうっかり迷い込んだとも考えられますが、少なく見積もっても10匹分はあるとの話でした。
どうやら近所では野良猫の虐待事件が数年前に頻発しており、警察も見回りを強化していたそうですが、あるときから急に激減したそうです。
というか、そもそも猫がいなくなったそうで、お巡りさんも気にはかけていたそうですが…。
「まさか…こんなところにいたなんて…」
報告がてら私のところにきたお巡りさんは絶句していました。
家賃滞納したあげく失踪した住民が虐待犯とは決まったわけではありませんが、なんらかの因果関係がありそうだとも言っていました。
私は怖かったのもありますが、猫たちが気の毒になり、骨をお寺にもっていき、お焚き上げをしてもらいました。
それ以来、あの「ドン」という音もしなければ、野良猫の無き声もしなくなりました。
そもそも鳴き声は外から聞こえたものではなかったのかもしれません。
この人ならわかってくれるかもしれないという、猫たちからのSOSだったのかもしれないな…と思うようにしています。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)