これは祖父の故郷である中部地方の集落に伝わる儀式です。
祖父が生まれ育ったのは山間の小さな集落で人口はせいぜい200人程度でした。現在は近隣の町村と合併して消滅しています。
この集落ではゴウビキ様と呼ばれる神様を祀っていました。漢字で書くと業引き様です。
ゴウビキ様の祠は村の外れに位置し、毎年お盆の季節になると村人たちがこの祠に捧げものをするのです。
その際村人たちは懐紙に自分が犯した罪をこっそりしたため、誰にも見られないようにゴウビキ様の祠におさめるのでした。
もし誰かに見られてしまったらその村人には必ず不幸が降りかかると言われています。
現に祖父の友人だった若者がゴウビキ参りの途中で懐紙を落とし、それを見られたせいで命を落としています。
死因は心不全だったそうですが、迷信深い祖父はゴウビキ様の祟りだと今でも信じています。
罪の内容は大小様々で、隣人のものを盗んだ、よその嫁や旦那と浮気した、小さい子をいじめたなど多岐に渡りました。
祖父の友人は妻子ある身ながら祭りの日に夜這いをした過ちを書いたそうです。
村人が祠におさめた紙は後で神主が回収しお焚き上げをする手筈になっていました。
しかし世の中にははねっ返りがいるものです。その筆頭が若き日の祖父でした。
友人の急死からこちら村のしきたりに反感を持っていた当時の祖父は、神主が来る前に祠を暴き、村人たちの秘密を掴んでやろうと企てたのです。
ある夜祖父は一人で家を抜け出し、ゴウビキ様の祠がある村外れへと向かいました。神主は明日回収に来る予定なので、夜のうちに覗き見しようと思ったのです。
祠に辿り着いた祖父は注意深くあたりを見回し、無人なのを確認後に祠を開けました。
老朽化した木製の祠の中には異様に長い舌をたらした石仏が安置されており、これがゴウビキ様でした。
村人たちはゴウビキ様の口の中に紙を突っ込むので、石仏の口からは白い紙が溢れ出しています。
祖父はゴウビキ様が吐き出した紙を一枚とって開こうとしましたが、その際に舌の付け根に激痛が走りました。誰かが舌を掴んで引っこ抜こうとしているような痛みでした。
反射的に紙を投げ捨て蹲る祖父の目の前で、ゴトゴト、ゴトゴトと石仏が揺れ動きます。
「うわああああ!」
祖父は気も狂いそうな恐怖に駆り立てられて逃げ出し、その日は布団を被って夜通し震えていました。一睡もできず翌朝をむかえてみると、祖父にはある異変が起こっていました。
ゴウビキ様の祠を暴いた夜を境に、祖父は嘘を吐けない体質になってしまっていたのです。
人間生きてれば誰しも些細な嘘を吐きます。しかし祖父の場合は真実しか言えず、人間関係に軋轢が生じました。無理に嘘を言おうとすれば舌が付け根からちぎれそうな激痛を発するのです。
この状況を不審がった村人たちに責め立てられた祖父は、ゴウビキ様の祠を暴いた過ちを白状しました。もとより嘘は言えないのですから観念して自白するしかありません。
すると村では緊急会議が開かれ、祖父のしでかした事がどれほど重い罪なのか懇々と説かれました。
ゴウビキ様は人が生きる上では避けて通れない罪や業を浄めてくれる存在です。
名前の由来は罪業を引く事からきており、ゴウビキ様に自らの罪を懺悔して改心を誓うことで、村人たちはこの土地で生きていくことを許されるのだそうです。
この儀式の発端となったのは今を遡ること三百年前、江戸時代に起きた惨劇でした。
当時この村は凄まじい飢饉に陥りました。そんな中、村人の一人が非常食を隠し持ってると噂が出回り皆が疑心暗鬼に陥ります。
村人たちは血眼になって裏切り者を捜し回り、犯人と妻子を抹殺。その遺体を口裏合わせて始末した末、まんまと食料を手に入れました。
この年から舌の付け根が腐る奇病にかかり、命を落とす村人が続出します。
村の長老は殺された百姓の祟りを恐れ、彼ら一家を埋めた場所に供養の祠をたて、石仏を置きました。
「ゴウビキ様は今でもまだ憎き村人たちの罪を食っておるんじゃ。それで腹を膨らましておるのじゃよ」
最年長の老人に諭され、さすがに祖父も青くなりました。村人の罪はゴウビキ様のみぞ知ることで、それを興味本位に暴こうものなら報いを受けるのが当然の末路です。
その後は神主に謹んで事情を話し、村人たち総出でゴウビキ様を鎮める儀式をしました。
数日後に祖父の舌は治ったものの人間関係を修復するのは不可能でした。何故なら祖父は兄嫁と浮気していた事実を喋ってしまい、実家で居場所を失っていたのです。
祖父は失意のうちに村を後にし、東京に出て家庭を持ちました。
以来故郷の村には帰ってないそうですが、今もまだ呪いの名残りで舌の付け根がどす黒く染まっています。
これは偶然かもしれませんが……祖父の舌の痣は息子と孫にも遺伝し、私は物心付いた頃から嘘を吐けず、本当にあった事しか話せない業を背負っています。
正直者でいいと褒めてくれる人もいますが、やはり生き辛さを感じずにはいられないのでした。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)