両親が転勤族だったので、私は北陸のあちこちに住んだことがあります。
これは私が小学生のときに住んでいた、N市のとある地域で遭遇した出来事です。
私は4年生になる4月に引っ越してきたばかりでしたが、同級生が6人しかいない小さな学校だったのですぐにみんなと仲良くなることができました。
N市の端に位置するこのS地区は海と山の間にある小さな集落が合併してできた場所です。
大きなお店も、ゲームセンターもない田舎に引っ越すことを最初は嫌がっていた私も、いつの間にか豊かな自然の中で友達と遊び回ることが一番の楽しみになっていきました。
タケノコ掘りに行ったり、友達の家の田植えを手伝ったり、田舎暮らしを満喫しているうちに夏がやってきました。
特に仲良くなったSちゃんという女の子から、夏休みに地元で催されるというお祭りに一緒に行こうと誘われた私は母が買ってくれた浴衣を持ってSちゃんの家に行きました。
Sちゃんは浴衣姿で私を出迎えてくれました。一緒に暮らしているおばあちゃんが着せてくれたのだと言います。
Sちゃんのおばあちゃんとは何度も会ったことがあって、少しころっとした体型でいつもニコニコしている優しいおばあちゃんです。
奥の和室から玄関を覗き込んでいたSちゃんのおばあちゃんが私を手招き。誘われるがまま部屋に入ると、私を大きな鏡の前に立たせて手際よく浴衣を着せてくれました。
髪型までSちゃんとおそろいに結い上げてくれて、とても嬉しかったのを覚えています。
Sちゃんと私はお小遣いの入った小さな財布を巾着にしまって草履をはくと、意気揚々とお祭りの会場へ向かおうとしました。
「S、〇〇ちゃん、提灯持っていかんかい!」
あの優しいおばあちゃんが、怒鳴るような厳しい口調で言ったので私は驚きました。Sちゃんを見ると、Sちゃんはむっとしたような顔でした。
「はいはい、わかってるって、もう。」
おばあちゃんの立っている玄関のところまで行くと、Sちゃんはおばあちゃんから大人の手のひらくらいの小さな提灯を二つ受け取って私の元に戻ってきました。
火の点っていない提灯を「はい」と当たり前に渡されたものの、私は何故渡されたのかもわかりません。
Sちゃんのおばあちゃんの前で「これ何?」と聞くのが子供ながらにためらわれたので、私はしばらく当たり前のように提灯を掲げながらSちゃんとお祭りの行われる神社へと向かいました。
神社へ向かう道には同じように、明かりのついていない小さな提灯を提げた子どもたちが歩いています。
少し不気味に思いましたが、参道に並ぶ夜店が見え始め、提灯のことなどどうでもよくなりました。
焼きそば、くじびき、綿飴…屋台を楽しむうちに日が暮れてすっかり辺りが暗くなっていました。
Sちゃんがくじびきで当てたエアガンを「撃ってみたい!」というので、私達はこっそりと薄暗い茂みの方に行きました。箱から開けて、弾を込めて、Sちゃんはアクション映画のヒロインのように木を的に見立ててエアガンを打ちました。
「面白いよ!〇〇ちゃんもやってみて!」
Sちゃんが私にエアガンを貸してくれました。小学4年生が遊ぶおもちゃではない、とわかっていながらも私もやってみたくてうずうずしていたので、Sちゃんからエアガンを受け取って何発も打ちました。
そのうち、飲みきったジュースの缶とペットボトルを並べて、射的ごっこをはじめたのですが、このエアガンがなかなかの威力で、やっと空き缶に当たったと思ったら空き缶は思った以上に飛んで転がっていってしまったのです。
缶はお社の側に落ちていました。空き缶なんて見捨ててしまえばそれまでです。しかし何となく神社にゴミを置いていくのは気が引けたので、私とSちゃんは大人にバレないかハラハラしながら、缶を取りに行くことにしました。
お社の方へ行くと、中から大人たちの話し声がします。こそこそと、何やら秘密の話のようです。ときどき「うッ」と女の人のうめき声のようなものもしました。
缶を拾って立ち去ればいい話なのですが、このときSちゃんも私もエアガンを持っているせいか映画の登場人物のような気持ちになっていて、古い壁から光が漏れている場所を見つけると思わず中を覗いてみたくなりました。
縦に細長い壁のひびか何かを、私達は左右から一緒に覗き込みました。
その光景に思わず声が出そうになりました。
白い着物をきた女性と、数人の男性。異様なのは、祭壇に向かってぶつぶつ何かを唱えている女性の長い髪を、男性が次々と引きちぎっているということ。
一本や二本ではありません。目に見えてひと束、ぶちぶちと代わる代わる引きちぎっているのです。
髪を引っ張られて、頭をグンッと仰け反らせる女性。表情は見えませんが、髪が抜かれるたびに声がうわずったり、悲鳴を噛み殺しているうめき声が聞こえます。
遠目にも、頭頂から左耳あたりまで、ちぎれた短い毛がまばらに生えているだけの赤い頭皮が見えました。
私とSちゃんはぞっとして、その場から逃げるように神社を後にしました。なんと言ってよいかわからず、無言で足早に参道を駆け下り、Sちゃんの家へと向かいます。
家族に話してよいものなのか。あれは一体何だったのだろう。様々な疑問が頭の中でぐるぐるとしている私達でしたが、Sちゃんの家が見えてきて少しほっとしました。
玄関にはおばあちゃんが立っていました。家族の顔を見て緊張の糸が切れたのでしょう。泣きそうな顔のSちゃんがおばあちゃんに駆け寄っていきました。
ところが。
「なんで火をもらってきとらんのや?」
温かく迎えてくれるものと思っていたおばあちゃんは、Sちゃんを見るや怒鳴りつけたのです。
「なんで火をもらってきとらん!!!」
何のことだか一瞬私は理解できませんでした。出掛けるときはすねて見せる余裕のあったSちゃんも今度ばかりは、わあっと泣き出してしまいました。
いつもなら可愛い孫が泣けば我に返りそうなものですが、おばあちゃんは号泣するSちゃんにも容赦せず続けざまに大声でSちゃんを責め立てます。
私には聞き取れないほど訛りのきつい言い方でしたが、要約すると「提灯に火をもらってきていない人間を家にあげられない」と言っているのだと何となく理解できました。
ひとしきり怒鳴った後、おばあちゃんは泣きじゃくるSちゃんの腕を掴んで神社の方へ引っ張っていこうとしました。
私の顔をぎょろりと覗き込んだおばあちゃんは、「〇〇ちゃんも来なさい。」と冷たく言いました。
私は先程のお社の中での光景を思い出し、「神社に戻るのは絶対に嫌だ」と思いましたが、目の前のおばあちゃんの威圧感にただ頷くことしかできませんでした。
泣いているSちゃんと、その腕を引っ張って歩くおばあちゃんの少し後ろをついていき、私はまたお祭り会場に戻ってきました。
夜店は賑やかで、楽しそうな人々が行き交っています。鳥居をくぐり抜け、階段を登った先にあのお社が見えてきました。
(あの中だ)
髪をむしられる女性と、髪をむしる男性。不気味な儀式がまだ行われているのかと思うと近づくだけで気持ち悪かったです。
でも、お社の手前に立っている白い法被を着たおじさんは、何も知らないでお祭りで浮かれているような、朗らかな表情でした。
「おや、✕✕さんどうしたんだね?怖い顔して。」
おばあちゃんと知り合いらしいそのおじさんは、私達のぴりついた様子を見て不思議そうです。
「いえいえ、孫たちが火をもらってこなかったもんでねえ。」
後ろ側にいた私からおばあちゃんの顔は見えませんでしたが、もう、それほど怒っているような声色ではありませんでした。おじさんは仕方なさげに笑いました。
「ははあ、いやそれはいかんねえ。火ィね、ちょっと待っててね。」
待ってて、と言ったおじさんはお社の中に入っていきました。あの、お社の中に。私は心臓が壊れるのではないかというくらいドキドキしていました。
何かが起こるのではないか、という心配に反して、おじさんはすぐに細いろうそくを持って出てきました。
そして私達の小さな提灯に火を灯してくれました。「はい、これでばっちりだ。気をつけて帰ってね。」おばあちゃんが鬼のように怒っていた「提灯に火を点ける」という手順は、全く問題なく済んで、私達はあっさりと帰宅が許されたのです。
おじさんもあのお社の中に入ったのに平然としていて、いっそ不気味でしたが、それ以上に呆気にとられてしまいました。
Sちゃんを開放したおばあちゃんは「ごめんね、びっくりしたね、もう大丈夫だよ」と言って私達の頭を撫でて、お詫びとしてりんご飴を一つずつ買ってくれました。
何故提灯に火を点けて帰らなくてはならないのか、おばあちゃんは理由を教えてはくれませんでした。あの場で聞けば答えてくれたのかもしれません。
それでも聞けなかったのは、提灯のことで怒るおばあちゃんの様子が常軌を逸しているように思えたからです。お社の中で行われていたことについても、私は誰にも話しませんでした。Sちゃんもきっと家族に打ち明けたりはしなかったでしょう。
私達は何事もなかったことにして、二人きりのときでさえこの話題を持ち出すことはありませんでした。
私は小学校の卒業式までT地区で暮らしていましたが、Sちゃんと行ったそれっきり、5年生のときも6年生のときも、あのお祭りには行っていません。
よそへ引っ越して、数年、十数年と時が経つうちに思い出すこともなくなっていたのですが、先日ふと思い出すきっかけがありました。
Sちゃんから、同窓会のお誘いがあったのです。はがきの差出人の懐かしい名前を目にして、真っ先に思い出したのがこの、お祭りでの出来事でした。同窓会が行われるのは夏、ちょうどお祭りのある頃です。
過疎化が進む地域ですが、お祭りの賑やかさは変わっていないでしょうか。未だに提灯の風習は残っているのでしょうか。今年もまた、あのお社の中で…。
もう大人になったせいでしょうか。あんなに恐ろしい思いをしたというのに、今年は少し、お祭りを見に行ってもいいかもしれない、と心のどこかで思っているのです。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)