私が子どもの頃に住んでいた町には、お化けが出ることで有名な坂がありました。
坂道の隣には、新しくできた真っ白いマンションが、坂に沿うように勾配をつけて建てられており、何とも不気味な雰囲気を漂わせていました。
はじめは、新しいマンションに住みたいと言っていた小学四年生だった私も、上級生からお化けが出るという話を聞いて、すっかりマンションに住みたいと言うのをやめてしまいました。
ある日、友達の家からの帰り道、どうしてもその坂道を1人で通ることになってしまいました。
そして私は見たのです、その坂道を歩く、一人のお姉さんの後ろ姿を。
お姉さんは、サラサラの茶色の髪の毛で、会社に行くようなスーツ姿をしていました。
私は、お化けじゃなくて人間だ、と安心したのも束の間、そのお姉さんの足が一本であることに気がつきました。
片足しかない人を間近で見るのが初めてだったので、とてもびっくりしましたが、お姉さんが松葉杖を使いながら、しっかり歩いていたので、えらいなと感じていました。
それからしばらくして、ふと母に「あのお化けの出る坂でね、足が一本のお姉さんがいたんだ」と言いました。
私は、母に片足でもがんばっている人がいたんだよと教えたかったのです。
母がいつものように「そうなんだ。そのお姉さん、えらいね」と言うかと思ったら、母の顔は固くこわばったままでした。
「どうしたの?」と何度も聞くと、母は観念したように重い口を開き、私にこんな話をしてくれました。
「そのお姉さん、お母さんの友達かもしれない」と母は言うのです。
お姉さんは、とても若くて、母はもうお姉さんと言える歳ではなかったので、私は不思議に思いました。
すると、母は、その友達の話をしてくれたのです。
母の小学校の友達だった和子ちゃんという女の子は、明るく活発な女の子でした。
バスケットが得意で、男子からも女子からも人気がある優しい性格の子だったそうです。
ところが、中学生になったある日、青信号を渡っていたにもかかわらず、信号無視のトラックに轢かれてしまう交通事故にあいました。
意識不明の状態を乗り越えて、命は助かりましたが、片足の膝から下を切断することになってしまったそうです。
膝から下がなくなってしまった場合は、多くの場合は義足をつけることを選びます。
しかし、和子ちゃんの場合には義足をつけると耐えがたい痛みが出てしまったのだそうです。
そのため、和子ちゃんは義足なしで、松葉杖で生活することを選んだのだそうです。
和子ちゃんは、持ち前の明るさで、高校も普通の高校に通い、卒業後は就職もしました。
大学進学をした母にとって、一足早く社会人になった和子ちゃんのお化粧をした姿は、大人っぽくて素敵に見えたそうです。
ここから先は、母も他の友達から聞いたそうですが、和子ちゃんには就職してすぐに彼氏ができて、結婚を約束する間柄になりました。
彼氏は和子ちゃんの脚に障害があることを受けとめて、自分がサポートをする気持ちで、何の偏見もなかったそうです。
しかし、彼の両親からは、結婚を猛反対されてしまい、結婚は破談になってしまいました。
両親は、和子ちゃんの脚のことがどうしても受け入れられなかったのです。
なぜ、自分の息子がわざわざ脚のない人と結婚しなければならないのか、息子にはもっと他にいい人がいるだろう、と和子ちゃんの前でも言ったのだそうです。
これまで、どんなときも明るく振る舞い、進学や就職の壁を乗り越えてきた和子ちゃんが結婚を機に仕事を辞めて、やっとほっと一息がつけるかもしれないと思っていた矢先の出来事で、和子ちゃんはすっかり気落ちしてしまったそうです。
会社には、すでに結婚の予定を伝えていたため、結婚がなくなったことを言いにくく、そのまま逃げるように会社も辞めてしまったのだそうです。
そして、本当に残念なことに、和子ちゃんは20歳の若さで、廃墟となっていたビルの屋上から身を投げてなくなってしまったのだそうです。
そのビルは後に壊され、その跡地に白いマンションが建ったということです。
私が見た、一本足のお姉さんは、和子ちゃんの幽霊だったのでしょうか?
母に、私が見たお姉さんのサラサラの髪のことやスーツのことを伝えると、母は「和子ちゃんだ」と言いました。
私は、和子ちゃんという母の友達が悲しい亡くなり方をしたことにとてもショックを覚え、同時に幽霊を見たことには興奮もしていました。
どうにかもう一度、和子ちゃんを見るために、同じ時間帯に坂道に行くこともありました。
一人では怖いので、仲良しの友達も誘い、黙っていられず、和子ちゃんのことを話してしまいました。
同級生に話したら、大騒ぎになって、和子ちゃんがかわいそうだこらやめよう、と思っていたのについ言ってしまいました。
友達には口止めをしましたが、その友達がやはり口止めをしながら他の子に話し、それを聞いた子がまた別の子に話して、和子ちゃんの話はじわじわと学校中に広がっていきました。
私が一番恐れていたことは、和子ちゃんが気持ち悪いお化けのように言われてしまうことでしたが、和子ちゃんの話を聞いた誰もが「かわいそう」「ひどい」と言っていました。
和子ちゃんの顔は、私も見ていないのですが、話の上では「とても美人」ということになっていました。
母によると和子ちゃんは本当に美人だったのだそうです。
私は、たった一度この目で見た和子ちゃんの分まで、精一杯生きようと、大人になった今でも気持ちを引き締めています。
そして、差別や偏見がなくなる社会になることを願っています。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)