私が小学生の頃の話です。
学校の近くに子どもたちの遊び場となっていた裏山があったんです。
今じゃあまり考えられないかもしれませんけど、当時はその山の中を仲の良い子たちとグループを組んで探検隊ごっこなんてして遊んでました。
木の実を探して食べてみたり…洞穴のような所もあったので秘密基地を作ったりして、結構自然の中で楽しんでました。
そんなある日のこと。
私が5年生の時でしたね。
探検中に仲間たちとはぐれて迷子になってしまったんですよ。
もう数年は通っている、勝手知ったるとも言える山で。
山の中は、かつて自分らより先にここで遊んできた先輩たちが迷子にならないようにと道を踏みしめて人道を作って、更には目立つ色のロープまで張ってたんです。
それなのに、気が付けば周囲にいた仲間たちは姿も見えず声も聞こえなくなり、目印のロープも見当たらなくなっていました。
あの時の私は途方に暮れましたよ。
何せ当時は今みたいに、通信手段なんか持っていない。
自分が山中で迷子になったことを誰にも知らせられない。
探検に夢中の仲間たちも自分がいないことにいつ気づくかわからないし、気づいたとしても探しに来られるか…。
そうこう考えているうちに、日も段々と傾いてきてしまって。
いよいよどうすることもできないのかと涙目になった時にですね、音が聞こえてきたんです。
シャン、シャン、と。
何の音か最初は分からなかったんですが、気を落ち着けてジッと聞くと、どうやら鈴の音のようでした。
神楽鈴ですか、神社などで巫女様が舞を披露する時に手に持って振っているアレのような凛と響く音です。
音は二重に聞こえていたので、恐らく複数名が鈴を鳴らしている。
音はゆっくりと大きくなっていき、段々とこちらに近付いてきているのがわかりました。
はて、この山の中に神社などあったか。
あれば先輩たちがそこへと向かえるように目印のロープなど張っていそうなものだが。
首をかしげましたが、音が気になった私は疑問は端に置いてとにかく音のする方へ歩を進めました。
耳に神経を集中させ、鈴の音がどの方角から聞こえるか探して向かいます。
この時は好奇心が勝っていて、自分が進行形で迷子だなんて事は忘れて探検をしている気分でいました。
シャン、シャシャン
迫る鈴の音目掛けてズンズンと進み、ついにこの垣根を越えたら見つかる、という所まで迫りました。
気持ちは逸っていたので勢いだけはそのまま垣根を越えて突進せんばかりにありましたが、本能でしょうか、垣根は越えずに身を隠したんです。
正直、隠れてよかったと思いました。
その光景はさながら嫁入りの行列のようでした。
袴の者と白無垢の者の頭上には赤い傘が差され、その両脇にいる付き人のような役割の者たちが一歩踏み出すごとにシャランと鈴を鳴らし、全体的に摺り足で歩みを進めています。
まさに厳かといった雰囲気。
行列から伝わる緊張感に当時の私の肌もピリついたのですが、目は離せませんでした。
ゆっくりと練り歩くように歩を進める行列を成すその者たち…なんと顔が人間のソレではなかったんですよ。
大きな口にギョロリと動く目玉、湿り気がヌラヌラと光を反射している皮膚。
袖から覗く手は吸盤が付いているように指先が丸く、その手で器用に握った神楽鈴をシャラシャラと振っている。
思わず呟きました。
「蛙だ」
蛙が嫁入りしているのだ、と。
私はその後しばらく垣根の影に隠れて行列を食い入るように見ていました。
見惚れていた、と言っても過言ではなかったでしょう。
その光景はあまりに非現実的で、奇怪で、それでいて神秘的でした。
こう言ったら変人を見る目を向けられそうですが、白無垢を着た蛙が本当に美しかったんですよ。
着慣れてない着物の裾を気にしつつ、だいぶ歩きにくそうに俯きながら進む姿や緊張で強張った口元。
隣の袴を着た蛙をチラリと見、照れるように伏せられた目は実に人間味を感じて、そういった年頃の娘と変わらないように思えたんです。
人間の嫁入り行列だと雅楽に使われる楽器などが鳴らされるのですが、私が見た蛙の嫁入りは鈴と、後続の太鼓の演奏でした。
トン、トン、と鈴の音を際立たせるように打たれ、僅かに空気を震わせ伝わってくる太鼓の振動が実に心地よかった。
そうして見惚れているうちに、行列の先頭が歩みをゆっくりと止めました。
それに合わせて後続の蛙たちも止まります。
目的地に着いたのか?しかし辺りを見渡しても神社はどこにもありません。
蛙たちの目の前にはポッカリと洞の空いた大きな木が立ちはだかるように生えています。
どうするのだろう、と垣根の影から見守っていると、先頭の蛙が身を屈めながら目前の洞を潜って入って行きました。
次いで袴を着た蛙が身を半分だけ入れて振り向き、白無垢を着た蛙に向かって手を差し出します。
白無垢の蛙は少し戸惑うように視線を泳がせますが、傘を持った蛙や後ろに付き人のように控えていた蛙からやんわりと促され、やがて恥ずかしそうにおずおずと袴の蛙の手を取りました。
袴の蛙は満足そうに一つ頷くと、白無垢の蛙を気遣うように手を引き誘導し、やがて二匹の蛙は洞の中に消えていきました。
その後、残りの蛙たちも洞を潜っていき、最後の蛙が洞の中に入ると同時にシャン…と鈴が一度鳴り、辺りは静寂に包まれました。
私は垣根から身を出し、しばし呆然としていました。目の前には洞のある大木、あの蛙たちが入って行った場所があります。
足元を辿るように見ると、人間のものではない独特な形の足跡がたくさん列をなして残っていました。
周囲がすっかり暗くなっているのに気づいたのは、私のことを探しに来た仲間たちの手に持った明かりに照らされた時でした。
どやどやと賑やかに近付いてきた仲間たちの歩みで元の蛙たちの足跡は消え、手を引っ張られ人道に連れ戻される間に洞の大木も見失っていました。
「どこに行っていたんだ、探したんだぞ」「下級生でもあるまいし目印のある道から外れるなんてマヌケな」と叱られ呆れられ、しかし安堵が滲む仲間たちの声に素直に謝罪をして皆で山を下りました。
あれから随分と日が経って、こうして場を借りて話してみてはいるんですが、当時の仲間たちには大人になった今でも話せていません。
自分たちの身の丈ほどある大きな蛙が、晴れ着を纏って列をなし、山の中を二足で練り歩いていたなど誰も信じないでしょうし。
当時は何となく、あの行列の存在を自分だけの秘密にしていたかった。
それほどに、あの光景は異様で異質で、魅入ってしまうくらい神秘的だったんです。
あの時の蛙たちは今頃何をしているでしょう。夫婦で仲良く暮らしているといいですね。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)