怪文庫

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祠と雨の女

私の古い友人の話。


彼は仲間内で有名な雨男だった。

 

子供の頃から友人と一緒に遊ぶ日はどんなに晴天の予報でも外れて雨が降った。

 

雨の強さは小雨からバケツをひっくり返したような土砂降りまで、日によってまちまちだった。

 

降るのは友人が休日遊びに行く時ばかりで、不思議なことに遠足や運動会といった行事の際は降らなかった。

 

クラスの子どもたちは度々友人を「アイツを呼ぶと雨雲も来る」「アイツは雨雲に好かれてる」と称したが、遊ぶ際に降る雨への対策として友人を誘うのをやめるのではなく、集合場所を屋内にして傘を常備することにした。

 

その辺りは、当時の友人も救われていたという。

 

そして成長し地元を離れた今も、彼の奇妙な体質は健在らしい。

 

仕事の視察で屋外の現場に向かう時などはやんわりとメンバーから外されるそうだ。


久しく会った友人の車の助手席から見上げる空は灰色に淀み、決して強くはないが視認できるほどの雨粒が無数に降り注いでいた。

 

「言っとくけどマジで俺は何もしてないからね?雨雲が勝手に寄ってくるのよ」

 

そう言い肩をすくめる友人に、心当たりは無いのかと聞いてみた。

 

雨足が弱まるまでの暇つぶしがてらに。

 

すると友人は、「物心ついた頃の話だけどね」と前置きし、神妙な面持ちで窓越しに空を見上げながら話し出した。


友人の記憶は実家の一室の子ども用ベッドの上、天井を見つめている視界から始まる。

 

家を出る頃より痛みのないキレイな木目が並ぶ天井板をジッと見つめる幼児期の彼は、傍から見れば大人しい赤ん坊だったかもしれない。

 

しかし、当時の彼が見ていたのは変哲もない天井ではなかった。

 

「天井にな、影が映ってたんだよ。水の波紋みたいな、それが反射して天井がキラキラしてたんだ。子ども心ながらに見てて飽きなかった」

 

しかし当時も今も、実家の敷地内にもその外にも波紋が反射するような池や川のようなものは無い。

 

友人がそれに気づいたのはもう少し大きくなり、庭で遊べるようになってからだが、天井には変わらず波紋の影が見えていた。

 

影が見えているのは友人だけで、他の家族には見えていなかった。

 

友人がある程度成長すると、波紋の影は至る所に映るようになった。

 

自室の畳や庭の地面、保育園へ向かう道すがらの乾いたアスファルトの上。

 

自分にしか見えない揺らめきは何となく常軌を逸している現象だとは理解していたが、それ以上に子ども心が…探究心と好奇心がくすぐられた。

 

「1回だけ、大人が手を離した隙にその影を追ったんだよ。近付いたらスス…って引っ込むみたいに動いたから、その後ろをずっと追っていった」

 

頃合いにして4、5歳程だったらしいが、小さな子だからと侮ってはならない。

 

当時の友人も、恐らく大人が想定していた数倍の行動力と機動力を発揮していたのだろう。

 

友人は影を延々と追い、気が付けば周囲は木々に囲まれていた。

 

「最初はどこに迷い込んだかわからなかった。普段散歩に出かける時は絶対大人と一緒だったし。心細かった。ハッとした時には知らない森の中で、大げさだけどもう2度と家に帰れないかもってまで考えてた」

 

友人は泣き声を上げながら進んだ。

 

足元には落ち葉で見えにくくなってはいたものの、波紋の影が見えていたから無意識にソレを追っていた。

 

「泣きじゃくりながら少し進んで、開けたところに小さい祠?社?みたいなのがあるのを見つけた。…そこにな、」

 

友人少年は見た。


幼少期の彼の背丈ほどの大きさの祠の屋根の上。


着物を着、豊かな黒髪を靡かせた女が凛とした佇まいで座っていた。

 

「マジで掛け軸か何かから抜け出てきたんじゃないかってほど、美人だった。ガキだった当時の自分じゃ分からなかったけど」

 

祠の周囲は薄く水が張っているように波紋を揺らし、木漏れ日を反射していた。

 

女が近付いてきた友人を見る。

 

涙でグシャグシャの顔面を着物の袖で優しく拭うと、友人が泣き止んだことに笑みを溢した。

 

祠まで歩を進めた友人の足はくるぶしまで浸り、パシャリと上がった水飛沫はどこまでも幻想的だった。


女は泣き止んだ友人に1つの飴を差し出した。

 

少し大きめの球体状のソレは足元で光る水の色と波紋の模様を映していて、宝石のようだと思った。

 

受け取った友人は飴を口に入れたが、味はどちらかというと美味しくなく、舐め切る前に出してしまった。

 

女はその友人の様子を見て困ったように笑ったが、それ以上強いることもなく優しく頭を撫でた。

 

「口当たりしょっぱくて、段々苦くなっていく感じだった。あの味覚えてるから、夢じゃないと思う。その後はまた波紋の影を追って行ったら、山も下りられて家にも帰れた。大人たちにはこっぴどく叱られたけど、その日からだな、やたらと雨に降られるようになったのは」


「…なるほどな」


「俺さ、今でも思ってるんだよ。この雨が降る体質はあの時の祠の女の人と飴玉が関係してるって。雨が降ってる空を見上げる時、あの女の人の顔が頭に思い浮かぶから」


「まあ、無関係ではないだろうな」

 

友人に返しながら、私は車窓から空を眺めた。

 

相変わらず、雨は無数の粒となって降り注ぎ友人と私の乗る車を濡らした。

 

果たしてこの雨は友人に対する祠の女の加護か、はたまた彼を誰にも渡さないという独占欲の表れか。

 

「君は、機会があればその女の人の飴をもう一度食べたいと思うか?」


「ん?」

 

此方からの問いにハタと動きを止めた友人は、しばらく考える素振りをした後に朗らかな表情で答えを紡いだが。

 

途端に強まった雨足がすべて掻き消してしまいついに聞き取ることはできなかった。

 

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