怪文庫

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船旅

古い付き合いのある友人は、本土から船で三時間の離れた小島に住んでいた。


これは、その小島にいる友人を訪ねるべく乗った船の上で体験した話である。

 

フェリーのような大きいものではない、どちらかというと釣り船ほどの大きさのその船には、私の他にも数人の人間が搭乗していた。

 

船内には昼間から酒を煽る者、知り合いだろうか談笑し合う者、船酔いで休む者と、皆思い思いに過ごしている。

 

外の空気が吸いたくて船の外に出れば、デッキには一人の男が手すりにもたれながら煙草をふかしていて、私と視線が合うと苦笑いしながら煙草の火を消した。

 

「船って禁煙でしょう。乗務員に見つかると怒られますよ」


「スマンスマン。でもアイツらなら許してくれるさ。顔見知りだしな」


「え、そうなんですか」


「何なら中で休んでるヤツらも皆知り合いだよ。昔一緒の船に乗ってたのさ」

 

ならばこの船に乗っている者の中で自分だけが他所者か。

 

目的地が小さく狭い島ならそういうこともあるか、と顎に手を当てながら考えていると隣の男はカラカラと笑った。

 

「あの島に一人で行くなんて物好きなんだろう、兄ちゃん。どれ、船が着くまでの暇つぶしに聞かせてやろう」


男が始めたのはこの海域に伝わる昔話だった。


荒波が激しい事、反して質のいい魚が獲れる事で有名だったこの辺りの海には、腕に覚えのある漁師たちが果敢に船を出していた。


漁師たちの乗った船を軒並み転覆させる荒波に、昔の現地の民たちはある噂を囁くようになった。

 

(あの海には贄を欲する神がいる)


(贄欲しさに漁師の乗る船をひっくり返している)

 

「実際に、船乗りたちの中にも言い出すヤツが現れたんだ。『波の中に大きい影が見えた』『女の顔をしたデカい何かが、船の上の男たちを吟味するように眺めて波ごと手を伸ばしてきた』とかな」

 

それでも漁師たちは何とかその海で漁がしたかった。

 

その海域で育った魚は本当に美味で、市場でも破格の値段がついたのだ。


しかし船を出せば転覆させられ、漁どころではない。どうしたものか。

 

当時の漁師たちは考えた。

 

そして、一つの方法を考えついてしまった。

 

「そうだ、贄を欲してるなら、望みのモノをくれてやればいい、ってな」

 

それから漁師たちは船を出す際に『定員より一人余分に船に乗せる』ようになった。

 

乗せるのは島から選ばれた発育の悪い子どもや女、先の長くない老人などだったが、どうやら神は若い男が好みらしいとわかってからは男を乗せるようになった。

 

「島にとっちゃ男手は重宝する。だからな、乗せるヤツは『外』から連れてきたんだよ。ふらっと立ち寄った旅人や坊主なんかの他所者をな、『島まで乗せてやるから』なんて言って乗せて、寝てる内に手足縛って、海峡の真ん中でポイっとな、落としてやったんだ」

 

海に投げ込まれた影は大きな腕のように蠢く波に飲まれ、深海に沈んでいったのだと。

 

「ああ、もうすぐ船が着くなァ」と締め括りながら男は煙草に火を点け、硬直する私を置いてデッキを出て行った。

 

自分以外が知り合いだという船の上、外から島へ向かう他所者の私はデッキの手すりを握り一歩も動けなかった。


「船旅お疲れ。どうだった?船酔いしなかった?」


「お疲れ。怖くてずっとデッキにいたよ」


「そんなに怖かった!?今日は波も大人しい方だったろ!?」

 

船着場まで迎えに来ていた友人に荷物を預けながら答えれば、友人は目を丸くしながら背中を擦ってくれた。

 

原因は船酔いではないのだが、詳しく説明するのも億劫でされるがままに擦られる。

 

「具合悪かったなら船内にいた方がよかっただろうに。休むスペースあっただろ」


「他の客が多くて行く気になれなかったな」


「客?」

 

何言ってんだ、この船に乗ってたのは船長とお前だけだぞ。

 

「…は?」


「お前マジで顔色悪いぞ。少し休むか」

 

友人はそう言って私の手を引きながら自身の家へと向かって歩き出した。

 

やや速足な歩調に足が縺れたが、一刻も早くその場を離れたい身としてはありがたかった。

 

船の上での光景が目に浮かぶ。

 

船内にいた男たちの目。煙草の煙の向こうの男の目。

 

神への供物の品定めをするようなそれらの目線が、船の下で蠢く波のように絡みついてくる。そんな感覚がした。

 

船着場を出るまで、ついに背後の海と船を振り返ることはできなかった。

 

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