私が通っていた小学校の通学路に墓石が立っていました。
いかにも「お墓」の佇まいなのに名前もなく、誰かのお墓というわけでもないのかお花をお供えされているところも見たことがありません。
子供の頃は、それほど不思議に感じたこともなく誰かが噂話することもありませんでした。
中学、高校はその道を通らないのでその墓石のこともすっかり忘れていました。
大人になって肝試しをしようという話になり、ルートを決めようとしていたら誰かが「〇〇の墓」をゴールにしようや」と言い出しました。
名前がないから「まるまるの墓」と呼ばれていたらしいその場所は最近では様子が違っていたんです。
ルートの下見に行き驚きました。
小屋のように雨避けの屋根が付けられ、周りには花壇ができて小さな花が色とりどりに咲いていました。
墓石の脇にはお地蔵さんも置かれ、帽子や前掛けなども着せられて大事にされている様子がうかがえます。
しかし、やはり墓石に名前はありませんでした。
何があったのか気になった私は、後日墓石の前にあるお家に声をかけてみることにしました。
その家に住む小柄なお婆さんは、静かに語り始めます。
夜中の12時を回る頃、誰かが泣いているような声がしてね。
外に出て見たら夏の蒸し暑い夏の夜だったのに真冬みたいに着込んだ若い男性が墓石の前で小さく屈んで泣いているんだよ。
「どうしたの?」と声を掛けた時に分かったよ。
もう死んでる人だってね。
だって、兵隊さんみたいなボロボロの軍服だったから。
そしたら、その兵隊さんが「このお墓に入りたい」っていうんだよ。
「それは、無理だ」と言っても聞かないしね、「じゃあ、この近くにいたらいい。私が毎日供養するよ」と言うと安心したみたいでさ。そのまま消えてった。
だから、ここに花を植えてお水もお供えしてたらお坊さんがお地蔵さんも置きましょうって。
最近じゃ、ここも騒がしくて「肝試しっていうの?」ああいう面白半分な人たちがキャーキャー騒ぐもんで兵隊さんもゆっくり眠れないのか文句言いに私のところに来るんだからたまったもんじゃない。
お婆さんは怖くないんですか?と聞いてみると、
「もしかしたら戦争で死んでいった兄弟や父の友達だったのかもしれないと思うと怖くはないよ。みんな、お墓になんて入っていないからね」
寂しそうに語ってくれたお婆さん。
その数年後、そのお婆さんは忽然と姿を消してしまったそうだ。
身内が誰もいなかったので、そこまで騒ぎにはならなかったけれど。
私は、兵隊さんがお婆さんを迎えに来て連れて行ったんだと思う。
身内だったのか?その友人や知人だったのかは分からないけれど。
そのことをお坊さんに話してみたら、〇〇の墓に文字が刻まれた。
「慈愛」と。
この文字のおかげで、肝試しに使われることもなくなったそうです。
あの墓石は、昔から人知れず誰かと誰かを繋ぐ石だったのかもしれません。
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