私の両親は、山奥にある集落の出身です。
まだ私が小さかった頃は、年に数回帰省することがありました。
普段は東京に住んでいたので、その差に毎回驚かされたものです。
集落の人は優しいですし、自然がいっぱいで、子どもからすると楽しい場所。
しかし、何とも得体のしれない不気味さを感じていました。
自然にあふれている場所なのに、なぜか息苦しい。沼に足をとられているような感覚がありました。
ここには来たくない。ずっと、そう思っていたんです。
そして中学1年生の夏休み、お盆に帰省することになりました。
この夏休みに、決定的なことが起きたのです。
あんなに優しかった集落の人たちが、急に変わりました。
女性は私のことをすごく睨んでくるし、男性はニヤニヤと見てくる。
中学1年生にもなれば、その視線の意味は自然と理解できました。
優しかったおじさんが、私の胸元を覗き込もうとしてくる。すごく気持ち悪くて、両親にすぐに伝えました。
すると母が「あなたが神様の嫁に選ばれたの。だから女性たちはみんな嫉妬してるのね。私もうらやましいもの」とニコニコと笑います。
父も「神様の嫁になれるということは、女になったということ。だから集落の男性たちは、お前を女として見るようになったんだよ」とこちらもニコニコ。
本当に意味がわからなかったです。
この集落にあるしきたりのことを、この時初めて知りました。
それは、毎年一人、月経のある女性が神様の嫁になるというものでした。
神様の嫁に選ばれると、お盆の間、集落の中にある小さな公民館のようなところで過ごします。
神様が現世にいらしている間に、一人だと寂しい。だから、嫁役を用意する。
嫁に選ばれるのは神様に選ばれるのと同じことなので、とても光栄なこと。
公民館にいる間は、他の男性たちが嫁役の世話をする。
神様に抱かれた女性は幸運の象徴なので、その後も集落の男から大切にされる。
中学1年生の夏休み、今まで嫁役をしていた女性が閉経を迎えてしまったらしく、新しい嫁役に指定されたのが私という訳でした。
集落の血を継ぐ人間だし、女の中で一番若い。そんな理由で選ばれたらしく…
大人になってから調べてみると、こういった風習は全国の田舎に存在しているそうです。
しかし、私が初潮を迎えたこともを、集落の人間にバラされてしまったことがとてもショックで。
男性が世話をするというのも、怪しいですし…優しい人たちの本性を知ったのも、すごく怖かったです。
怖くて怖くて、山から走って逃げました。
一度山の中に逃げ込んでしまえば、野生動物に攻撃される可能性もあります。
何より、もう出られない可能性もありました。
でも恐怖でたまらなかったのです。
…どうなっても、地獄。
そんな事を考えていると、転んでしまい、尻もちをついてしまいました…
泣きそう、そう思った時あの感覚が襲ってきました。
ふかふかの土の上なのに、まるで沼に足をとられているような感覚に。
どうして?その時、何となく理解してしまいました。
何かがいると。
ぬめっとしたものが、私の体に覆いかぶさってきます。
ハッキリと重さを感じました。もう終わりだ…
そう思った時に、私の前に鹿が現れたんです。
鹿がこちらに近付いてくると同時に、体が軽くなっていきました。
その瞬間に立ち上がり、私は猛ダッシュ。助けてくれたんだ!そう思いました。
そして鹿が進んでいった方に私も進んでいくと、獣道というのでしょうか。木が折れている道があり、何となくここを通れば良いんだと感じ、あるき続けました。
そして道路が見えて、私はたまたま通った観光客の車に保護されたのです。
その後、私は自らの意思で施設に入りました。
両親とは今も交流していません。
多分、あのぬるっとしたものは、本物だったのだと思います。
ただの重さではなく、いやらしさというか、気味の悪さがありました。
しかし、神様とは思えません。
神を騙った何かなのではないでしょうか。
あの集落は、神ではない何かを崇めて、それを理由に毎年お盆にやましいことをしていたのでは…
そんな私を救ってくれたのは、本物の山の神様だったような感覚があります。
あの鹿は、神様の使いだったのかもしれません。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)