私が最初に違和感を覚えたのは、ある雨の朝だった。
いつものように洗面所の鏡を見たとき、そこに映る自分の表情が、どこか違うように感じたのだ。
目つきが少し鋭く、口角が微妙に上がっているような…。
しかし、よく見直すと何も変わっていない。気のせいだと思い、その日は会社へと向かった。
それから数日が過ぎ、鏡の中の「私」の変化は徐々に顕著になっていった。
髪型が少し違う、肌の色が若干明るい、目の色が微妙に濃い…。
そんな些細な違いが、日に日に積み重なっていった。
不安になった私は、念のため眼科に行ったが、視力に問題はないと言われた。
ある夜、寝る前に鏡を見たとき、ついに決定的な違いに気がついた。
鏡の中の「私」が、こちらに向かって微笑んだのだ。
私が驚いて後ずさりすると、鏡の中の「私」はそのまま鏡に手をつき、まるで薄い膜を押し破るように、現実の世界に滑り出てきた。
「お待たせしたわね」
鏡から出てきた「私」が言った。
声まで私と瓜二つだ。
「そろそろ入れ替わりの時よ。私がうまくやるわ」
私は恐怖で声も出ない。
鏡の中の「私」は、ゆっくりと近づいてきた。
「大丈夫、痛くないから。ほら、鏡の中に入ってみて」
混乱と恐怖で頭が真っ白になる中、私は必死に考えた。
この「私」は何者なのか、どうして鏡から出てこられたのか。そして、なぜ私と入れ替わろうとしているのか。
「待って!」私は叫んだ。
「あなたは一体何者なの?どうして私の姿をしているの?」
鏡から出てきた「私」は、不敵な笑みを浮かべた。
「無理もないけど、鏡の中の世界の人間と入れ替わることがあるのよ。あなたの姿と同じもので」
私は震える声で尋ねた。
「じゃあ、私はどうなるの…?」
「鏡の中の世界に入り、入れ替わりを探すばいいのよ。上手くやっておいたので」
この状況から逃れる方法を必死に考えながら、私は部屋中の鏡を布で覆い始めた。
「私」は困惑した表情を浮かべる。
「そんなことしても無駄だよ。一度こっちに出てきた以上、もう戻るつもりはないわ」
しかし、鏡の中の「私」が手を伸ばし、私に触れた瞬間、不思議なことが起きた。
「私」の姿が鏡の向こうにあるのだ。
鏡には私の部屋と「私」が映っているのに、私のいる世界は見知らぬ部屋だ。
しばらくすると鏡がぼやけながら私のいる見知らぬ世界を映し出した。
部屋に静寂が戻る。私は震える表情の自分が映っていた。
あれから数年が過ぎた。
違和感なく生活するのにしばらくかかったが前の鏡の奥の世界とは違う世界になっていた。
私には見知らぬ夫、子供ができており幸せな暮らしをしていた。
果たして、鏡に映る「私」は本当に自分だったのか。
そして、鏡の向こう側の世界はもどれるのか。
私は戻りたいのか。鏡の中の「私」はまたあらわれるのか。これらの疑問は、おそらく永遠に解けないのだろう。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)