これは私が小学校低学年頃、今から40年以上昔の話です。
私の家は祖父母と同居していてその祖母には戦前ブラジルに移住した兄がいました。
その兄はだいぶ前に亡くなってしまっていたようなのですがその息子、祖母にとっては甥に当たる人物が日系二世としてブラジルで農場を営んでいました。
その甥がある年の正月に来日することになり祖母のところにも遊びに来ることになりました。
そんな珍しい来客が来るにあたり祖父母の子供達、私の父含め兄妹6人もブラジルから来る従兄弟を迎えるため我が家に集合することになったのです。
子供だった私にはブラジルはすごく遠い外国ぐらいの認識しかありませんでしたが、そこから来る人に会えることにワクワクしたのを今も覚えています。
そして待ちに待ったブラジルからの親戚が我が家に来ました。
来日したのは祖母の甥夫婦2人で祖母自体も手紙のやり取りはあったようですが会うのは初めてでした。
皆初対面ではあったもののそこは親戚なので和気藹々としたムードの中、ブラジルの写真を見せてくれたり色々な話をしてくれました。
そして更にはブラジルからたくさんのお土産も持ってきてくれたのです。
それも物凄い量でブラジルのお菓子からピラニアの剥製、狩猟に使う大きなナイフ、色々なアクセサリーなどダンボール数箱分ほどもあったのを記憶しています。
ブラジルの叔父はそれらを見せて説明しながら「みんなで分けて好きなもの持っていって」と大盤振る舞いしてくれたのです。
我が家ではその場に子供が私1人だったこともあり、子供特権で私が希望したお菓子、ピラニアの剥製、ヘラクレスオオカブトの剥製を貰いました。
それらブラジルらしい土産群の中にひとつだけ毛色の違うものが混ざっていました。
それは額縁に入ったお面で材質は粘土の焼き物のようなもので黒光りしていて目の部分は空洞なのですが鼻や口が妙にリアルで子供心に「ちょっと怖い」と感じたのを覚えています。
当時の叔父の説明はうろ覚えなのですが、はっきり覚えていることがひとつあり、それは"首狩族"のお面という言葉でした。
当時水曜スペシャルというテレビなどで"未開の首狩族"などというおどろおどろしいタイトルの番組を観たこともあって、その"首狩族"という言葉だけで子供だった私は母の後ろに隠れたのを覚えています。
これは後日、私が大学生の時にふとそのことを思い出して調べて分かったのですが、そのお面は"ヒバロ族"というアマゾン川上流奥地に住む部族のお面だったのです。
ヒバロ族はまさしく首狩の風習があった部族ではあるのですがテレビ番組の誇張で様々誤解があったようでした。
確かにテレビなどに出てきたように敵対した部族と争った際に相手部族の首を狩って目口を紐で縛り乾燥したものを掲げることもあったにはあったようです。
しかし本来は酋長など村で偉い人物や大切な家族が亡くなった際に弔う目的で首を掲げるのが本来の有り様のようでした。
近年になり文明に触れたヒバロ族では首狩の風習もなくなり、酋長や家族が亡くなった際には首の代わりにデスマスクを作るようになったのです。
それが件のお面でした。
叔父が話していたことのうろ覚え部分で、叔父の父、祖母の兄が趣味でアマゾン川各地で釣りをしていて、そこでヒバロ族と知り合ったようでした。
ある年に旱魃か何かで村が大変だった際に釣りの時にお世話になったからと食糧やら様々なものを持っていったお礼にヒバロ族では幸運をもたらす守神であるというそのお面を貰ったというような話だったと思います。
話は戻ってその見た目がちょっと恐ろしいお面は父の姉夫婦が貰うことになったのです。
当時父の姉夫婦、私にとって叔母夫婦は小さな町工場を営んでいました。
工場といっても叔母夫婦と近所のおばさん1人の3人だけでやっている小さなものでした。
それがその年、当時の私はよく分かっていなかったのですが大人になって後日談で聞いた話では大手自動車メーカーの二次下請となることが急に決まり、自宅にあった工場から大きな場所へと移り従業員もほんの1年で20〜30人にまで増えたのです。
子供だった私でも叔母夫婦が急にいい車に乗り出したなとか、遊びに行く度に1万円ものお小遣いをくれるようになったななど変化を感じたものでした。
更にはこれは後々まで内緒にしていたようなのですがその年の始め頃に買った宝くじで100万円が当たり、息子の大学の学費工面に苦慮していたものが一気に解決したらしいのです。
そして我が家ではその年のお年玉付き年賀状で当時特等だったカメラが当たっていました。
ヒバロ族のお面を貰った叔母夫婦だけでなく、ほんの1日我が家にあっただけでその力が作用したのでしょうか。
思えばブラジルの大叔父一家も時期的にそのお面が来てから農場が拡大したようでした。
それから時が経ち6〜7年後、叔母夫婦の家に泥棒が入ったと騒ぎになりました。
一家が旅行に行ってる際に入られたようで、金銭は置いていなかったものの若干の宝石類、テレビやビデオ、そしてヒバロ族のお面が盗まれたとのことでした。
一見不気味なお面をわざわざ盗っていったということは叔父がその話を各方面で自慢したことが災いしてそれを聞いた知り合いまたは又聞きした人間ではないかと親族間で推測したものです。
お面が盗られてしまったことに叔父はかなり落胆してしまい、なんと直後に肝臓癌が見つかって半年も経たずに他界してしまいました。
工場も息子が継いでいなかったため人手に渡ることになったようでした。
今思うとヒバロ族のお面は幸運をもたらすのではなく、その人の持っている運の総量の中から一時に集中して引き出す、といった種類のお守りだったのではないかと感じます。
あまり波風のない一生といっ時に幸運を使い切る一生、果たしてどちらが良いのでしょうか?
今もあのお面はどこかで誰かの幸運を使い切るぐらい引き出しているのでしょうか?
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)