俺が高校2年の冬休み、大掃除の日のことだった。
納屋の奥から、妹が古い木箱を見つけてきた。
「お兄ちゃん、これ見て!すごくない?」
箱を開けると、中から赤い着物を着た日本人形が出てきた。
驚くほど状態がよくて、まるで昨日作られたみたいだった。
「これ、おばあちゃんが言ってた人形かも」妹が目を輝かせて言った。
母さんに確認すると、間違いなく曾祖母の形見だった。
でも、母さんの表情が一瞬曇ったのが気になった。
「大事にしなさいよ」
そう言って母さんは背を向けた。
何か言いたそうだったけど、結局何も話してくれなかった。
妹の強い希望で、人形は俺たちの部屋に置くことになった。
最初のうちは何もなかったけど、夜中に目が覚めると、人形が俺を見てる気がして背筋が寒くなることがあった。
そんなある日、母さんが急に高熱を出して寝込んだ。そのうち父さんも体調を崩した。
家族みんなが次々と具合悪くなって、親戚にも不幸が続いた。叔父さんが事故に遭ったり、じいちゃんが入院したり。
「最近、なんだか運が悪いわね」母さんがぼそっと呟いた。
その頃から、人形のことが妙に気になり始めた。
夜、一人で部屋にいると、人形の表情が変わったような気がして、近づいてみると確かに何か違う。
恐怖で体が硬直した。
その夜、俺は奇妙な夢を見た。
若い女性が赤ん坊を抱いている。でも、周りの人たちは冷たい目で彼女を見ている。
女性は涙を流しながら赤ん坊に別れを告げ、どこかへ消えていく...。
目が覚めると、冷や汗でびっしょりだった。
人形は変わらぬ表情で、ただそこにあるだけ。でも、何かが違う気がして仕方がなかった。
翌日から、俺は必死に曾祖母のことを調べ始めた。
古いアルバムをあさり、親戚に聞き込みをした。
母さんも、重い口を開いてくれた。そして、おぼろげながら真実が見えてきた。
曾祖母は若くして身ごもり、家を追い出されたんだ。
そして、生まれた子供...俺の祖父を、実家に置いて姿を消した。
最後まで、子供に会いたがっていたらしい。
全てを知った俺は、人形を見つめた。
そのとき、不思議と温かいものが胸に広がった。
だが、その感覚はすぐに消え去り、代わりに言いようのない不安が押し寄せてきた。
確かに、家族の体調は回復し始めた。不幸な出来事も起こらなくなった。でも、それと引き換えに、俺の中に何かが芽生え始めていた。
夜になると、人形の目が俺を追いかけてくる。
昼間でさえ、背後に誰かの気配を感じる。
振り返っても誰もいない。ただ人形だけが、いつもの場所でじっと座っている。
ある夜、俺は再び悪夢にうなされた。夢の中で、若い女性が俺に向かって叫んでいた。
「返して...私の人生を返して...」
目が覚めると、ベッドの足元に人形が座っていた。俺は声も出せず、ただ震えることしかできなかった。
家族は元気を取り戻したけど、俺はどんどん痩せていった。
眠れない夜が続き、幻聴や幻覚に悩まされるようになった。
両親は心配そうに俺を病院に連れて行こうとしたけど、俺は必死に拒否した。
なぜなら、人形が許してくれないことを、俺は知っていたから。
今でも、人形は俺の部屋にある。
家族の誰も、この人形の本当の姿を知らない。
曾祖母の魂は決して安らかになどなっていない。
それどころか、俺の中に、新たな怨念の種を植え付けたんじゃないかと思う。
夜が更けると、今でも人形の目が動くのが見える。かすかな囁き声が聞こえる気がする。
「私の思い...全てを受け止めて...」
俺はこの呪縛から逃れられるのだろうか。
それとも、曾祖母の歪んだ愛情とともに、永遠にこの家に縛り付けられるのだろうか。
答えは誰も知らない。ただ、人形だけが静かに微笑んでいる。
その表情が、日に日に俺に似てきているような気がして仕方がない。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)