怪文庫

怪文庫では都市伝説やオカルトをテーマにした様々な「体験談」を掲載致しております。聞いたことがない都市伝説、実話怪談、ヒトコワ話など、様々な怪談奇談を毎週更新致しております。すぐに読める短編、読みやすい長編が多数ございますのでお気軽にご覧ください。

怪文庫

地下の闇

先月、私の故郷である街で工事現場の路面が陥没して重機が転落、作業員2名が重体という痛ましいニュースがあったのを新聞で見てふと奇妙な事を思い出したためその事についてお話させて頂きます。

 

件の私の故郷は太平洋に面した世界的に有名な家電メーカーの企業城下町です。

 

私は大学まで地元に住んでいて卒業と同時に就職で離れたため今では年に一回、正月に帰省する程度ですが、海も山も歩いて行ける距離にある地元が今でもとても好きです。

 

 

そんな地元にまだいた大学生時代、私は友人の紹介で少々変わったアルバイトをしていました。

 

それは"地質調査"と言われる仕事で建造物やインフラを建設する地盤を事前に調査する仕事でした。

 

一般的にはボーリング調査と言われていておりもしかするとみなさんも見かけたことがあるかもしれません。

 

作業は2tトラックに載る程度のボーリングマシンを使っておこなわれ、櫓を立てて先端にビットと呼ばれるドリルのようなものを取り付けた直径5cmぐらいのロッドと呼ばれる鉄のパイプで地面に穴を穿っていきます。

 

1台のボーリングマシンは親方1人と作業員補助1名で作業をするのですが私はその補助としてバイトをしていました。

 

作業は規定の地盤の硬さを持つ層まで掘り進めるのですが、浅い所では5〜10m、深い所だと40〜50mも掘削する場合があります。

 

掘削自体は機械がするのですが1m毎に地盤の硬さを調べる工程があるため1日に掘り進めるのは平均して10m程度とそれなりに手間の掛かる工事ではあります。

 

ある日、そのバイトで市役所関係の大きなビルを建設する現場の事前調査をすることになりました。


かなり大きなビルのため現場も広く、私と親方の組の他にも2組の作業員チームが入ることになりました。


そして実際に作業が始まって2日目のことです。

 

8mぐらいまで掘り進めたところで私と親方の組みの掘削孔で掘り進めていた所がストンッと抵抗が無くなり水が抜けてしまったのです。

 

水というのは掘削する際にドリルの先端が詰まらないように掘削孔を常に循環させているもので、水道水にベントナイトと言う特殊な粉末で少し粘りを持たせて使用しています。 


ごく稀に岩盤の割れ目や隙間のような部分に差し掛かった際にその循環水が徐々に抜ける事はあるのですが今回は完全に抜けてしまったためかなり大きな空洞に当たったのかと親方と話していました。

 

そんなトラブっている私たちを見て別の組で作業していた親方が声を掛けてきました。

 

その親方は70歳近い大ベテランでその地域のボーリング関係者の間では長老的な存在でした。


長老曰く、この街周辺で空洞にあたるのは数年に一度ぐらいは起きているとのことでした。

 

そしてそこから更に興味深い話を教えてくれたのです。


先にお話ししました私の故郷は企業城下町なのですが、その企業の前身は鉱山会社でした。戦前から戦後間もなくまではその鉱山で成り立っていた街と言っても過言ではありません。 


長老は若き頃その鉱山で働いていたとの事で当時の事から話始めてくれたのです。

 

いわゆる鉱山というとその名の通り"山"を掘削して鉱石を掘り出すもので鉄鉱など原石も生成上山岳や山沿いに存在しており我が街の鉱山も街からは少々離れた山沿いに存在していました。

 

その鉱山は太平洋戦争が近づいた頃が兵器用の鉄を採掘する最盛期でかなりの鉱石を産出していたとの事でした。

 

しかし、採掘した後に鉱石は精錬しなければならないのですが精錬に必要な石炭が需要過多で大きく不足し始めたらしいのです。


そこで鉱山会社が色々調査した結果"泥炭"と呼ばれる石炭には及ばないものの燃料となる資源が近くに多量に存在することが分かったのです。

 

泥炭は鉄鉱石などとは逆に太古の昔湿地や水場があるところに生成されるため存在したのは鉱山エリアから海に掛けて当時街になっていたエリアの地下でした。

 

そこからは鉱石の採掘と同時に泥炭の採掘が急ピッチで行われ、鉱山から海まで3〜4kmある所を海面地下に到達するほどの距離が何本もの坑道として掘られたのです。


その坑道こそが私たちが掘削した孔の真下にたまたま存在し当たってしまったのでした。


そして更に蛇足だがという断りを入れて長老は続けました。

 

鉱山の採掘は終戦間際も行われていたのですが1945年のある日、私の故郷の街は米軍による激しい空爆と艦砲射撃の標的にされてしまったのです。

 

死者は1200〜1300名にも上る激しい攻撃だったとのことです。

 

そしてその激しい艦砲射撃の衝撃で泥炭坑道で崩落が発生。

 

数十名が生き埋めになる痛ましい事態も発生してしまったとのことでした。

 

長老はたまたま泥炭坑ではなく鉄鉱石坑にいたため助かったとのことですが、生き埋めになってしまった方々は地上も酷い惨状だったため救出作業も行えず先の1200〜1300名の犠牲者に含まれたそうです。

 

この坑道の話は長年住んでいるにも関わらず初めて聞きましたし親や祖父母も知らなかったと思います。

 

長老の話では戦時中軍事機密扱いだったことと崩落事故という痛ましい事件から闇に伏せられたのではないかとのことでした。

 

 

この長老の話を聞いて当時私はふと子供の頃のある事件を思い出しました。

 

私が小学校5年生の時の事です。

 

今でも覚えていますが震度5強というかなり大きな地震が発生したのです。

 

幸い人や街に大きな被害はなかったのですが私が通っていた小学校から500m程離れた場所の畑の地面が直径3mぐらいの大きさで陥没してしまったのです。

 

それが大きな騒ぎになっていたため幼心の好奇心で友人とその場所を見に行きました。

 

その場所は既に警察が来て封鎖されてはいたのですが、ちょっと離れた所から見た限りでは少なくとも5mは底が見えない深い穴でした。

 

その穴はその日のうちに周囲を鉄柵で囲まれ立入禁止の看板が建てられました。


当時は子供だったためそんなことがあったのも翌日には忘れていました。そして当時は同時期に発生した不可解な事件も結びつけることなどありませんでした。 


不可解な事件というのは、大人になっていたから「あ、同時期だった」と思い出したのですが陥没事件からしばらくしてその周辺で犬や猫などのペットが行方不明になるということが頻発したのです。

 

更には庭で買っていた鶏が何かに襲われて死んでいたりといったことが多々発生し当時は危険な野犬がいると大騒ぎになりました。

 

しばらくの間保健所職員がその周辺や私の学校近辺を調査し、私達子供は集団登下校になるなどバタバタしたのを覚えています。

 

その騒動は2〜3週間続いたのですが、思い返せば先の陥没穴が工事ガラなどで埋め立てられて以降収まったような記憶があります。

 

そしてこれはそれらの奇妙な出来事を思い出した今現在調べたのですが、私の故郷の街は統計が始まった1960年代から全国的に見て常に突出して行方不明者が多いのです。

 

行方不明者というのは行方が分からなくなって捜索願いが出された人数がカウントされるのですが、捜索願いが出た対象の9割以上が全国平均的には最終的には発見されるようです。

 

残りの1割は本人の意思での夜逃げや自死してしまったまま見つからないなどのケースのようですが、この未発見率も1割を超えて全国でも高い数値なのです。

 

このあまり知られていない異常値の要因は何なのか…。

 

今もどこかに陥没穴が出来てしまっていて人知れず転落事故が多発してしまっているのか…。

 

それならまだしも今も坑道の中に"何が"が存在していて時折中から出てきているのか…。

 

今、先月起きた陥没事故の穴がどうなっているのか一抹の不安を覚えています。

 

著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter