怪文庫

怪文庫では都市伝説やオカルトをテーマにした様々な「体験談」を掲載致しております。聞いたことがない都市伝説、実話怪談、ヒトコワ話など、様々な怪談奇談を毎週更新致しております。すぐに読める短編、読みやすい長編が多数ございますのでお気軽にご覧ください。

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薬師如来

東京上野に勤務していた会社がありました。

 

支店勤務の私は、月にいち1.2回は上野の本社会議に出席するため、出かけて行きます。

 

会議は昼過ぎから4時で終了。

 

他の支店長たちは、だいたい飲み会に行きますが、お酒が飲めない私は解散とともに、上野の森に行くのを楽しみにしていました。

 

美術館や博物館、科学館と見所もたくさんあります。

 

その日は会議が長引き、たどりついたのが5時でした。

 

もうほとんどが閉館の時間でしたが、土曜日だったため薬師寺館だけは、時間を延長していました。

 

夕方で、人もまばらな中、入館しました。

 

小さな部屋がたくさんあり、部屋の中は、仏像や書簡、宝物が展示されています。

 

初めのうちは順路通りに、パンフレットを見ながら進んでいましたが、ある部屋に入った途端に、空気感というか、並んだ等身大か、それ以上ある仏像に圧倒され、体がぐらりと揺れたような気がしました。

 

そうして、仏像を一体一体見上げて、美しい立ち姿に感謝しました。

 

 

騒々しい会議のあとです。売り上げの低迷を追求されたり、在庫の管理で指摘されたり、10年も勤務しているのに、あまり信用されていないと、落胆していました。


仏像にすがりたいような気分です。

 

ふっと足元に白いモヤが立ち上っています。

 

へぇー、素晴らしい演出です。

 

この部屋には私ひとりだけしかいません。


仏様の足元にもやがかかり、まるで雲の上にいるような感覚に囚われました。

 

見上げた仏像は「薬師如来様」、パンフレットにはそう記載されています。


この先も、ずっとサラリーマンでいいのですかね。私はまだ今日の会議を引きずっていました。

 

すると、下ろした右手に何かが触れました。

 

いつの間にか薄暗く証明を落とした部屋の中全体が霧に覆われています。

 

自分の手を見下ろすと、如来様の薄絹のような衣が手にかかっています。

 

え?、さらに私はぼんやりしていた意識の中はっとしました。

 

薄い衣の間から、白くしなやかな手が伸びて、冷たい肌の感触をはっきり感じたのです。

 

一瞬ぐらっとよろめいて、我に返りました。

 

私はただ一体の仏像の前に立ちすくんでいました。


「閉館です」と、若い女性の声がします。


部屋の角に女性が立っていました。

 

いつの間にか部屋の中にはモヤも、霧もありません。

 

私はそのまま外に出て、なにか不思議な体験をしたのだと、日がくれた上野駅に向かいました。

 

すると、正面から、会議に参加していた社長が歩いてきました。

 

「頑張りたまへ」と肩を叩かれました。

 

その後、私の店舗は駅ビルの一等地に移転。私はこの会社を勤め上げ、無事に定年退職しました。

 

今は離島に移住して、第2の春を謳歌しています。

 

忘れられない体験です。

 

著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter