これは、俺が大学生の頃に体験した不思議な出来事だ。
もう10年以上前の話だけど、今でも鮮明に覚えている。
あまりに奇妙な体験だったので、これまで誰にも話したことがなかった。
でも、最近似たような体験をしたという書き込みをネットで見かけて、俺も記録として残しておこうと思う。
当時、俺は実家から電車で1時間半ほどの大学に通っていた。
最寄り駅から大学までは徒歩15分くらいで、住宅街の中を通っていく普通の通学路だった。
ただ一つ変わっていたのは、その道中にある古い自動販売機だ。
その自販機は住宅街の中でも人通りの少ない場所にポツンと置かれていた。
周りには民家もなく、コンビニや商店もない。
ただ塀と塀の間に、古びた自販機が一台。
機械自体はかなり古そうで、今でいう主要メーカーのものじゃない。
でも不思議なことに、いつも電気はついていた。
最初にその自販機の不思議さに気づいたのは、入学して2ヶ月が経った頃だった。
その日は珍しく大雨で、傘を持っていなかった俺は、雨宿りのためにその自販機の前で立ち止まった。
ふと商品ラインナップを見ると、見覚えのある商品名が並んでいることに気がついた。
でも、それらの商品のほとんどは、俺が知る限り、もう何年も前に生産終了しているはずのものばかりだった。
その時は古い在庫でも残っているのかな、と特に気にも留めなかった。
ただ、雨の中でぼんやりとディスプレイを眺めていると、なんとなく懐かしい気持ちになった。
小学生の頃、よく飲んでいた炭酸飲料や、中学生の時に流行った変わり種のジュース。それらが、まるでタイムカプセルのように並んでいた。
本格的に事態の異常さに気付いたのは、その1週間後のことだ。
バイトが終わって帰宅途中、その自販機の前を通りかかった。
その日は特に疲れていて、缶コーヒーでも買おうと思った。
小銭を入れて、ボタンを押す。
すると、どこかで聞いたことのある音楽が流れ始めた。最初は自販機の故障かと思ったが、よく聞くとそれは小学校の頃によく聞いていた懐かしいCMソングだった。
そして出てきた缶コーヒーを見て、俺は目を疑った。
それは15年以上前に生産終了していたはずの商品だった。
缶は新品同様でへこみもサビもない。
賞味期限を確認すると、なんと製造年月日が来月の日付になっていた。
不思議に思いながらも、その缶コーヒーを飲んでみた。
懐かしい味がした。小学生の頃、塾帰りに買って飲んでいた、あの味そのものだった。
それも、記憶の中で美化された味ではなく、確かにその時飲んでいた、リアルな味だった。
それからというもの、俺はその自販機に取り憑かれたように通うようになった。
授業の合間、バイトの行き帰り、時には深夜に。
出てくる商品は全て、すでに生産終了しているはずのもの。
でも全て新品同様で、製造年月日は未来の日付。
そして、必ずボタンを押すと懐かしいCMソングが流れる。
不思議なことに、その自販機で買える商品は、俺が過去に飲んだことのある商品だけだった。
一度も飲んだことのない商品を選ぼうとすると、ボタンが反応しない。
まるで、俺の記憶と連動しているかのように…。
あるとき、その自販機の謎を解き明かそうと思い、デジカメで写真を撮ってみた。
しかし、撮影した写真には自販機が写っていなかった。
ただの空き地が写っているだけだった。スマホのカメラでも同じ結果だった。
そこで次は、その自販機で買った商品を証拠として友人に見せようと考えた。
しかし、友人の目の前で缶を開けようとした瞬間、中身が完全に空になっていた。まるで最初から中身が入っていなかったかのように。
その後何度か試してみたが、結果は同じ。
自販機から離れて数時間すると、必ず中身が消えてしまうのだ。
さらに奇妙なことに、その自販機で商品を買える時間帯も限られているように感じた。
昼間に行くと、ほとんどの場合「故障中」の表示が出ている。
商品が買えるのは、主に夕暮れ時か深夜。特に、雨の日の夕方によく反応した。
ある雨の日、いつものように自販機で飲み物を買おうとしたとき、向かいの塀に映る影に気がついた。
自販機の影ではなく、人の影だった。
ただ振り返ってみても誰もいない。
でも、その影は確かにそこにいて、まるで店番でもしているかのように、俺が商品を選ぶのを見守っていた。
怖くなって逃げ出そうとした時、微かな声が聞こえた。
「また来てね」という、優しい老人の声。
それは、小学生の頃によく立ち寄っていた駄菓子屋のおばあちゃんの声に、どこか似ていた。
それからしばらくして、その自販機は姿を消した。ある日突然、まるでそこにはなかったかのように。
今でも時々、その場所の前を通ることがあるが、自販機が置かれていた痕跡すら残っていない。
ただ、たまに深夜にその場所を通りかかると、どこからともなく懐かしいCMソングが聞こえてくる気がする。
そして、自販機で買った商品の味を思い出す。
あの味は本物だったのか、それとも記憶の中の味なのか。
今でもはっきりとはわからない。
最近、ネットで偶然見つけた古い記事を見ていたら、その自販機があった場所に昔、お菓子や飲み物の問屋があったらしいことを知った。
さらに調べてみると、その問屋は個人商店を営んでいた老夫婦の持ち物で、二人が他界した後も、しばらくの間自販機だけが残されていたという話も見つかった。
もしかしたら、あの自販機は過去の記憶が形になったものだったのかもしれない。
最近、似たような体験をしたという書き込みを見かけることがある。
場所は違えど、懐かしい商品が買える不思議な自販機の話。
ただし、そういう書き込みのほとんどは、数日後には削除されている。
まるで、誰かが意図的に消しているかのように。
それ以来、深夜の住宅街で見かける古い自販機には、何か特別な思いを抱くようになった。
特に雨の日の夕暮れ時、人気のない場所に佇む自販機を見かけると、つい足を止めてしまう。
もしかしたら、また懐かしいあの音楽が聞こえてくるかもしれない。そんな期待を持ってしまうんだ。
あの不思議な体験は、懐かしい記憶と時間が交差する場所で起きた、説明のつかない出来事として、今も俺の中に残っている。
そして時々考えるんだ。
あの自販機は、本当に存在したのだろうか。
それとも、懐かしい思い出に浸りたかった俺の願望が生み出した幻だったのだろうか。
答えは、きっと永遠に分からないままなんだろう。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)