怪文庫

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部屋の隅の人影

あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

 

何も特別な日ではありませんでした。平凡な日常の中で、仕事を終えて帰宅し、夕食を済ませた後、少しだけ本を読んで布団に入りました。

 

疲れていたので、布団に入るとすぐに眠りに落ちました。

 

特に気になることや悩みもなく、普段と変わらない夜のはずでした。

 

ところが、真夜中に突然目が覚めたのです。

 

暗い部屋の中、時計を確認すると午前2時過ぎでした。

 

時間帯としては特に珍しくもなく、普段ならトイレに行ってまた寝るところですが、その夜だけは何かがおかしかったのです。

 

 

目が覚めた瞬間、胸にざわつくような不安感が広がり、何とも言えない嫌な感覚が体を包み込んでいました。

 

私は布団の中でじっとしていましたが、全身が強ばっているのを感じました。

 

心臓がドキドキと早鐘のように鳴り、呼吸が浅くなっていくのが分かります。

 

普段なら気にしないような静寂が、その時だけは耳に響いていました。

 

部屋の中は真っ暗で、窓から差し込む月明かりが、わずかにカーテンを透けさせている程度。

 

何も見えないはずなのに、「何かいる」と直感的に感じたのです。

 

そのうち、部屋の隅がやたらと気になり始めました。

 

普段なら何の変哲もない空間なのに、その時だけは、そこに目を向けるべきかどうかで迷いました。

 

見たくない、でも見なければいけない――そんな不思議な感覚に駆られたのです。

 

恐る恐る目をそちらに向けると、そこに「それ」がいました。

 

最初は何かの錯覚かと思いました。

 

疲れているせいで目がぼやけているだけだろうと自分に言い聞かせました。

 

でも、どう見てもその場に「人影」が立っているのです。

 

暗闇の中、黒っぽいシルエットがぼんやりと浮かび上がり、まるで人の形をしているかのように見えました。

 

顔や体の細部は見えません。

 

ただ「そこにいる」という存在感だけが恐ろしくはっきりしていました。

 

私は目を凝らして確認しましたが、その影は動くことも消えることもありませんでした。

 

心の中では「こんなことあり得ない、絶対に気のせいだ」と必死に否定しようとしました。

 

でも、その存在感は否定しきれるものではなく、むしろ時間が経つごとに私の恐怖心をかき立てていきました。

 

その影はただ静かに立ち尽くしているだけなのに、なぜか視線を向けられているように感じました。

 

目や顔なんて見えないはずなのに、「見下ろされている」という感覚が胸に広がり、体が動かなくなりました。

 

気づけば、私は完全に金縛りにかかっていたのです。

 

手足はピクリとも動かず、声を出そうとしても喉が詰まったように何も言えません。

 

唯一動かせたのは目だけで、私はその影をじっと見つめるしかありませんでした。

 

恐怖と緊張が混ざり合い、全身に冷たい汗がじわじわと滲み出てきました。

 

その間も影は動くことなく、ただそこに存在し続けていました。

 

それだけで、私はこれまでに経験したことのないような恐怖を感じました。

 

「これは夢なのか、それとも現実なのか?」

 

頭の中で何度もその問いを繰り返しましたが、答えは出ません。

 

夢にしてはあまりにもリアルで、現実にしてはあまりに非現実的な光景。

 

金縛りに遭うのはこれが初めてではありませんでしたが、これほど強烈な感覚に襲われたのは初めてでした。

 

その影が消え始めたのは、それからしばらく経ってからのことでした。

 

動くことなく立っていたはずの影が、ゆっくりと輪郭をぼやけさせていきました。

 

まるで霧が晴れていくように、徐々に薄れていき、最終的には完全に消えてしまいました。その瞬間、金縛りも同時に解けました。

 

突然自由を取り戻した体に戸惑いながら、私は大きく息を吐きました。

 

全身は汗でびっしょり濡れており、呼吸は荒く、心臓はまだバクバクと鳴り響いていました。

 

それでも、影が消えたことで少しだけ安堵感を覚え、しばらく布団の中で震えていました。

 

 

翌朝、私はいつもより遅く目を覚ましました。

 

疲労感が全身に残っており、頭はぼんやりとしていました。

 

それでも、夜中に見たあの光景が頭から離れませんでした。

 

現実だったのか夢だったのか、それともただの幻覚だったのか。いくら考えても結論には至らず、ただ一つ確かなのは、あの瞬間の恐怖が紛れもなく本物だったということです。

 

家族に話してみたものの、「疲れていたからだろう」と軽く流されるだけでした。

 

確かに、疲れている時には金縛りに遭いやすいと聞きますし、幻覚を見ることもあると言われています。

 

それでも、あの夜のリアルな感覚をどう説明すればいいのか分かりませんでした。

 

それからというもの、夜寝るのが少し怖くなりました。

 

特に午前2時を過ぎる頃になると、自然と目が覚めてしまうことが増えました。

 

その度に部屋の隅を確認してしまい、「またあの影が現れるのではないか」と恐怖に震えました。

 

幸い、それ以降影が現れることはありませんでしたが、心のどこかで「いつかまた……」という不安が消えることはありません。

 

あの影が何だったのか、私は今でも答えを知りません。

 

夢や幻覚だったのかもしれませんし、本当に幽霊だったのかもしれません。

 

ただ一つ確かなのは、あの夜の恐怖が私の心に深い爪痕を残したということ。

 

それが現実であれ、夢であれ、私にとって忘れられない体験となりました。

 

著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter