あれは、祖父が病気で危篤となっていた時でした。
祖父はガンを患い余命宣告を受けると、延命治療は望まず自宅での緩やかな死を望みました。
しかし戦前生まれの体の構造と言うのはどうにも頑丈なのか何なのか、常日頃から健康に気を付けていたせいなのか、祖父は宣告された余命を突破して1年以上は元気で過ごしていました。
孫である私と弟は、それぞれ毎週末に祖父母の家を訪れては祖父の身の回りの世話をする叔母を手伝い、またいわゆる終活を支援していました。
物置にある古い品を整理したり、庭木を整えたり、もう使わない畑にカバーをしたり……それはもういろいろやりました。
その甲斐あってか、祖父は終始穏やかに日々を過ごし、心残りは無いと静かに息を引き取りました。
さて、そんな穏やかな祖父の日々とは裏腹に、日々青い顔をしていたのが私の弟でした。
弟には強い霊感があり、人には見えないものがたくさん見える人です。
神社に行けば腹痛を起こし、防空壕跡地に行けば黒い靄と化した何かしらの霊の姿を見たり、そのまま悪霊をつけて帰ってきたり、お稲荷さんに誘導されて霊魂を運ばされ……この辺りはいつか語ることもありましょう。
弟は祖父の臨終が近づくにつれて、祖父の家が異様な空気に包まれていったといいます。
曰く、何か重苦しい、上位の存在のようなものが家の上にのしかかっているような感覚だと。
曰く、祖父の傍には常に見えない誰かの存在を感じているが、重苦しい何かの存在のせいでよく見えないと。
ちらりと見えたその誰かのうちの一人が、先日整理した写真の中にいて、祖父曰く叔母であるとかなんとか……。
私はどちらかというとそういうオカルティックな話は信じたい側の人間ですし、弟と過ごすうちにそういうオカルトな体験をいくつかしているので、今回もそういうものだと思っていました。
変化があったのは、祖父が息を引き取ってからです。
その日は平日で、私は仕事を終えてまさに退勤しようかというタイミングでした。
いよいよ危篤となっていた祖父についていた母から「いよいよだから声をかけてあげてほしい」と電話がありました。
ちょうど会社の更衣室で着替えの途中で、周囲には先輩社員の皆さんもいたので少々気恥ずかしかったですが、大きな声で祖父に呼びかけたりして、撮るものもとりあえず祖父の家に向かいました。
途中で当時学生だった弟も合流して二人で祖父の家を訪れました。
すると、祖父の家が見えた時点で弟が顔をしかめました。
「やばい。今まで一番異様な空気になってる。悪い物の気配はないけど近付くの怖い」
息を引き取った祖父を誰かがお迎えに来ているのだろうかと思いながら近づくと、私にもわかるほど重苦しい気配が家を取り巻いていました。
実感として何かあったわけではありませんが、感覚としては一歩歩くときに使う力がちょっとだけ重いというか、空気に質量が加わったような感覚と言いますか…。
とにかく、ここまで毎週通ってきた中では感じたことのない空気感を、確かに感じました。
玄関で靴を脱ぎ、祖父が眠る和室に入りました。
既に息を引き取ったらしく、叔母が祖父の手を握って泣いていました。
祖母は認知症を患っていて、いまいち状況が呑み込めていないようでした。
母は各所への連絡をしていて部屋の外にいました。なので、和室には亡くなった祖父と祖母と叔母の3人がいました。
…瞬間、私はもう2人の人間がいるのに気づきました。
祖父の枕元に立つ、輪郭だけが見える、そんな人影でした。
じっと動かず、祖父の顔を覗き込むように立っていました。
立っていたように見えました。
と言うのも、見えたのは一瞬で、すぐに見えなくなったのです。
突然のことにポカンとしてしまいましたが、叔母に声を掛けられたので私は祖父の遺体に声をかけるなどをしました。
祖父は穏やかな顔で眠っていて、病に苦しみながらも最期は緩やかな死を迎えることができたのだなとわかりました。
その後、部屋を後にして弟に人影の件を聞くと、
「おった。確かに男の人と女の人がおった。それ以上にめっちゃおったけど」
との答えが。
次の日、お通夜とお葬式の準備のため祖父母の家に泊まり、お坊さんが来るのを待ったり、弔問客の案内をしたりとあわただしく動いていました。
そんな中、度々祖父の様子を見に行くと、祖母が祖父の手を握って擦ったりして温めようとする姿を見たりしました。
認知症とはいえ、なんともいえない姿に欠ける言葉もなかったのですが、やはりその隣には枕元に座る何者かの姿を度々目撃していました。
その後、お坊さんがやってきてそのままお経を上げたりしている間、弟は終始苦しそうにしていました。
もともとお経を聞くと調子が悪くなる体質でしたが、一層調子悪そうにしていました。
残念ながらどうすることもできないので、私は静かに手を合わせていました。
そして、いよいよ祖父の遺体を棺に移して霊きゅう車へと乗せたときです。
「……消えた」
弟がぽつりとつぶやきました。
霊きゅう車を見送り一息ついたころに、弟にそのことについて聞いてみると、「じいちゃんを霊きゅう車に乗せてドア閉めたあたりで、重苦しい気配がふっと消えた」とのこと。
忙しさで忘れていましたが、言われてみれば質量を感じる空気感も無くなっています。
後から聞いた話によると、霊きゅう車を見送った後、一瞬だけ弟は家の裏の畑に祖父の気配を感じたそうです。
見に行ったらもう気配もなく、それ以降祖父の気配を感じることはなかったそうです。
それからお葬式を済ませたりしたわけですが、その間は特にこれといった異常はありませんでした。
浄土真宗のお葬式だったので葬式場に泊まったり、斎場でお骨を拾ったりしましたが、異様な雰囲気も何者かの気配も感じませんでした。
強いて言うなら、生前とにかくよく歩く人だった祖父の大腿骨がやたらと頑丈で、斎場スタッフの方が砕くのに四苦八苦していたことくらいでしょうか。
話がそれましたね。
祖父は生前よく働き、よく人を助け、人に頼られるような人だったので、きっとお迎えに行きたいという方が多かったのかなと思います。
それがいわゆる人徳であり、死後の成仏なんかをよくしてくれるのかな、と。
特にこの話には続きはありません。ちょっとだけ不思議な祖父の臨終の話でした。
ただ、皆さんも、人との縁や徳は大事にしておくことをお勧めします。
どうも、今わの際にはお迎えというものがやってきて、たまにいる霊感のあったりする人にあなたの人徳を知られてしまうかもしれないようなので。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)