怪文庫

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峠の電話ボックス

もう10年ほど前の出来事になります。


当時、私はまだ結婚前の彼女と付き合っており、ふたりで関西を巡る小さな旅行を楽しんでいました。

 

その帰り道、夜もすっかり更けて、私たちは車で国道423号線を亀岡方面へと向かっていました。

 

場所は止々呂美と能勢町の中間あたりだったと思います。


その峠道は、街灯もほとんどなく、真っ暗な山道をただひたすらに車のライトだけが照らしていました。

 

都会の明るさとはまるで別世界。周囲に人の気配はなく、聞こえてくるのは車のエンジン音と音楽だけ。

 

時間の感覚すら曖昧になっていくような、そんな静寂の中でした。


そのまま車を走らせていると、前方にぼんやりとした光が見えてきました。

 

最初は反射板か何かだろうと、特に気にせずにいたのですが、近づくにつれて、その光が四角いガラス張りの構造物――電話ボックスであることがわかりました。


こんな山の中に、“今どき電話ボックス?““誰が使ってんのやろ?“ そんな疑問が浮かんだものの、そのまま通り過ぎようとした瞬間、私は思わずハンドルを握る手に力が入りました。


電話ボックスの中に、人が立っていたのです。


年配の男性。ランニングシャツに、白いブリーフ姿。


異様でした。真夜中の山の中に、こんな格好で突っ立っていること自体、常識では考えられません。

 

しかも、彼は電話の受話器を耳に当てて、じっと何かを話しているようでした。

 

ボックス内の明かりに照らされたその姿は、妙にくっきりと目に焼きついています。


ゾッとしたのは、私だけではありませんでした。


助手席の彼女も、固まったように一点を見つめ、口を開きました。

 

「いま……見たよね?」と。声が震えていたのを、今でもはっきりと覚えています。


周囲には人家も施設もなく、道路脇に車を停められるようなスペースもありません。

 

ただひたすら、木々と闇に囲まれた峠道。

 

その場でUターンする勇気もなく、私たちは無言のまま車を走らせ続けました。

 

 

心臓の鼓動がやけに大きく聞こえました。

 

車内には、不自然なほどの沈黙が流れ、彼女も私も何も話せませんでした。

 

ミラーをちらりと見ても、もうそこには誰もいない。ただ、あの光と、おじいさんの姿だけが、頭から離れないのです。


後日、気になってあの辺りの地図を確認したり、インターネットで「電話ボックス 国道423号線 山中」などと検索してみましたが、それらしい情報は何も出てきませんでした。


その数週間後の事です。

 

ドライブのついでに同じ道を通ってみたことがあります。その道はやはり薄暗く、夜中になると静寂で、どこかひんやりとした空気が流れていました。

 

そして、あの電話ボックスがあったと思しき場所には、なにもありませんでした。

 

空き地すら見つからなかったのです。

 

ある日、別の友人と飲んでいたとき、ふとした拍子にこの体験を話したことがあります。

 

すると、その友人が少し顔色を変えて言いました。

 

「もしかして、それって国道423号線の、止々呂美のあたり??」と。

 

そして、友人もまた、まったく同じ場所で、同じように電話ボックスの中に立つランニングシャツとブリーフ姿のおじいさんを見たというのです。


その話を聞いたとき、私は自分の記憶が幻でも見間違いでもなかったのだと確信しました。

 

あのとき私たちが見たものは、確かに“存在していた”のです。


あれから何度か、私たちの間でこの話をすることがありました。

 

ふとしたきっかけで「あの時の電話ボックスさ……」と切り出すと、彼女は表情を強ばらせながらも、「あれは、本当にいたよね」と静かに言います。

 

数年経ち、最近ではその道を通るたび、何事もなかったかのような夜の雰囲気が、逆に不気味に感じられます。

 

私たちがあの夜、見たものはなんだったのでしょうか。


幻覚?見間違い?・・・?

 

峠道にひっそりと佇む電話ボックス。そこに立つ、ブリーフ姿のおじいさん。もう一度出会ったら、次は何が起きるのでしょうか。

 

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