三十年前になりますが、阪神淡路大震災のときの話です。
祖父を亡くしてから、神戸市中央区で一人暮らしをしていた祖母。
祖母は、当時大阪府吹田市に住んでいた私たちの家に、数日前から泊まりに来ていました。
私の母が、祖母の娘にあたります。孫(私)の用事の日に合わせて、早めから来てくれていました。
しかし、用事が2日前に迫った1月16日。
祖母が「(亡くなっている)おじいさん(祖父)が呼んでいる、帰らなきゃ」と、神戸に帰ると言い出しました。
小学生だった私は「明後日一緒に行ってくれるんじゃないの?」と駄々をこねましたが、母は「ふだんそんなの言わないおばあちゃんが。きっと理由があるんだよ、また来てもらおう」と。
祖母は神戸に帰りました。(実際これではなんのために大阪に来てもらっていたかわからない状況でした。そして、祖母は認知症などでもなく、これまで霊感的な発言をしたこともありません)
翌朝。あの阪神淡路大震災が起こりました。
私たちの住む大阪でも、マンションの高層階ということもあって、比較的大きな揺れが起こりました。
祖母が前日まで泊まっていた部屋は、もう布団を片付けていましたが、日頃はたんすや棚上収納がメインの部屋で、ものが散乱しました。
祖母がもし泊まっていたらガラスの人形ケースや陶器の置物が、祖母の頭上に落ちていたかもしれません。
一方、祖母の家は、神戸市中央区。被害が大きかった地域の一つです。
祖母の一軒家は、屋根瓦が落ちたり、2階はかなりひどいことになったようでした。
祖母は1階の仏壇前で寝ていたようでした。
祖父(仏壇の中の写真)と一緒に、本来食卓であり客間であり、寝室には似合わないこの場所で、少し前から寝ていたようでした。
1階も、天井が一部剥がれてくずれたり、ものが飛び散ったりしたようでした。
仏壇は、もちろん固定なんてされていませんでした。さらに、仏壇には多数のかたいもの(仏具)や、壁には額縁写真、火をつけたり火が付きやすい道具…祖母はその仏壇に頭を向けて寝ていたとのこと…。
あとで聞くほどに、とても危険な地域と環境です。
でも、祖母は生きていました。
家は住むことができないくらいに瓦礫とホコリまみれになりましたが、祖母は自力で必要最低限のかばんを持ち、近隣の学校に避難をしました。
ときが少し経ち、祖母の家を見に行った親戚は驚いたようです。
まるで仏壇が、震災後に置かれたか何かに守られていたかのように、その場では考えられないほどに転倒も移動もせず、仏具も大半原型を維持していたようでした。
震災のとき、天国の祖父の魂と、信じがたいけれど見えない見られない肉体の一部が、きっとそこ(仏壇あたり)にいたのです。
震度7の揺れから、目の前で眠る伴侶を守ったのだ、と母は言います。
「おじいさんが呼んでいる」
私は小学生ながら、その夢(に思える発言)が本当なら、祖父はなんていうことを!と感じていました。
亡くなった方が呼んでいるとしたら、祖母の行き先は…。
しかし、母は、祖母のその発言を理解し、祖父へ信頼も託したのでしょう。
孫(私)との約束を守る前に、そのような理由で神戸へ急遽帰るとは、きっと両親(私からみた祖父母)になにか神戸で(魂が)会わなければならない事情があるのだ、と。
もちろん、震災のことなんて予見できるはずもなく、母自身も翌朝は間一髪で落下物から身をかわせた感じでした。
数年前、祖母は100歳をこえて、天寿を全うしました。
「やっとほんまに二人会えるときがきたんやなあ。」
法要は、祖母が大往生ということもあり、祖母の娘や息子たち(私の母たち)も皆、和やかにすごしていたように思います。
おじいちゃん。当時、まだ70歳くらいだった祖母を、「まだこちら(天国)へ来たらあかん!」と神戸に呼び戻し、仏壇や家具から祖母を守ってくれて、本当にありがとうございました。
今でも不思議な話に感じますが、すべてのタイミングはまさに「神と仏のみぞ知る」ものでした。
著者/著作:怪文庫【公式】 X(旧Twitter)