高校1年生の夏、私は初めてアルバイトを始めました。
地元のラーメン屋で、こじんまりとしていながらも、地元の人に愛されている人気のお店でした。
お店の外観は少し古びた印象でしたが、入ってみると温かい雰囲気で、お客さんも常連の方が多く、和気あいあいとした空気が流れていました。
私は主に接客を担当していて、もう一人のアルバイトの子と二人で協力しながら働いていました。
最初は不安と緊張でいっぱいでしたが、徐々に仕事にも慣れ、ミスも減り、少しずつ楽しく働けるようになってきていました。
そのお店のルールはシンプルで、お客さんが入ってきたら好きな席に座ってもらい、店員が目視で人数を確認して、その人数分のお冷を持っていくという流れでした。
注文は手書きのメモ帳に記録し、厨房に伝え、出来上がったラーメンを運ぶ。食べ終わったら食器を下げて、テーブルを拭く。
そんな基本的なことの繰り返しでしたが、それでもお客さんとやりとりができるのが楽しかったです。
ある日の夜、私はいつものようにアルバイトに入っていました。
平日だったこともあり、特に混み合っているわけでもなく、落ち着いた雰囲気の中で時間が過ぎていきました。
時計を見ると、20時を少し過ぎたころだったと思います。
その時、店の入口から一組のお客さんが入ってきました。
夫婦らしき男女と、男性に抱っこされた2歳か3歳くらいの小さな子供でした。子供はとても静かで、表情がまったく動いていなかったのが印象的でした。
泣くでも笑うでもなく、何かをじっと見つめているようで、それが少しだけ不気味に感じられました。
3人は何も言わずにテーブル席へと向かい、自然な様子で腰を下ろしました。
私はその様子を確認して、お冷を3つと子供用の食器を準備しました。
その時も、何も違和感はなかったんです。
ところが、ちょうど準備が整ったその時、男性が子供を抱いたまま席を立ち、店の奥にあるトイレへと向かいました。
お冷は戻ってきてから持っていこうと考え、私はしばらく様子を見ることにしました。
しかし数分後、席に戻ってきたのは男性一人だけで、子供の姿がありませんでした。
私は一瞬「見間違えたのかな?」と自分の目を疑いました。
でも、はっきりと子供を抱いていたことを覚えていましたし、その印象的な無表情の顔が、頭に強く残っていました。
不安になり、私はトイレへ確認しに行きました。
扉はきちんと閉まっていましたが、ノックをしてみても反応がありません。ドアノブを回すと、鍵はかかっておらず、中を開けてみても誰もいませんでした。
トイレは狭く、隠れるような場所もありません。
私はさらに心配になり、店の隅々まで目を向けて探しましたが、やはり子供の姿はありませんでした。
戻ってきて、他のスタッフに「さっきの家族、子供いましたよね?」と聞くと、「いたよ。男の人が抱っこしてたじゃん」と、私と同じことを言いました。
私はますます混乱しました。
でも、夫婦が座っているテーブルには、まるで最初から2人だったかのような自然さがありました。
子供のことを気にするそぶりもなく、まるで“最初からいなかった”という空気が漂っていたのです。
私は悩んだ末、お冷を2人分だけ持っていきました。
「お子さんは……」と聞こうとした瞬間、女性がこちらをじっと見てきました。その視線には何かを言わせないような圧力がありました。私は言葉を飲み込みました。
男性は変わらずラーメンのメニューを眺めていて、何事もなかったように注文をしてきました。
私はそのまま接客を続け、子供のことには触れないようにしました。
夫婦は静かにラーメンを食べ、無言で会計を済ませて店を後にしました。
子供の姿は結局最後まで見えませんでした。
座っていたテーブルの椅子や食器も、最初から2人だったように整っていて、子供の存在を示すものは何一つ残っていませんでした。
バイトが終わってからも、私は何度も考えました。
本当に3人だったのか? 見間違いだったのではないか?でも、他のスタッフも子供がいたと証言してくれたし、子供用の食器を用意したときの感触もはっきり覚えています。
数日後、思い切って店長にこの出来事を話してみました。
店長は少し黙ってから、ぽつりと言いました。
「実は昔から時々あるんだよ。そういうことが」
「家族連れが来て、途中で誰かがいなくなる。後で確認しても、誰もそんな人は見てないって言うんだ」
「不思議だよな。でも害はないし、みんな忘れていく。気にしなくていいよ」
私はその言葉を聞いて、背筋にぞくっと寒気が走りました。
今でも、あの子供が何だったのか、どこに行ったのかはわかりません。そして今でもその店の前を通るたびに、あの出来事を思い出します。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)