これは、私がまだ小学生だったころの話です。
私は田舎で育ちました。本当に何もない、山と田んぼと古い神社くらいしかないような、そんなところです。
そのころ、私のクラスには「A君」という男の子がいました。
アジア系の外国人だったように思いますが、どこの国の子だったかははっきり覚えていません。ただ、私たちと少し顔立ちが違っていて、お母さんも片言の日本語を話す人だったので、子ども心にも「外国の人なんだな」と感じていました。
A君の家は、学校から少し離れた古い一軒家でした。もともとは誰も住んでいなかった空き家だったのですが、ある日突然、そこにA君の一家が引っ越してきたのです。
A君の家には、なぜか自然と子どもたちが集まっていました。
放課後になると、私たちはランドセルを背負ったままA君の家に行き、縁側でしゃべったり、庭で虫を捕まえたりして遊んでいました。A君のお母さんは優しくて、いつも何かしらお菓子を出してくれました。
その中でも、特に私たちが楽しみにしていたのが、緑色のクッキーのようなお菓子でした。
形はまるくて平たい、少し粉っぽい感じの焼き菓子で、色は抹茶よりももっと鮮やかな緑色をしていました。
味は……とても独特だったんですが、不思議と「もっと食べたい」と思わせるクセになる味だったんです。甘さもあるのに、どこか苦味があって、大人の味というか、言葉ではうまく言い表せない不思議な味でした。
そのお菓子目当てでA君の家に行く子も多く、私自身もいつのまにか、それを食べるのが日課になっていました。
でも、ある日のことです。
その日はA君が用事で放課後に家にいないという話をしていました。だから、私たちは別の場所で遊ぼうとしていたのですが、友達のひとり仮にB君が、途中から様子がおかしくなりました。
「……お菓子、食べたい……」
そう、ぶつぶつ呟き始めたのです。
最初は冗談だと思って笑っていたのですが、B君はだんだん顔色が悪くなり、目がうつろになっていきました。
そして突然、ランドセルを放り投げて、A君の家の方へ走り出したのです。
私と他の友達は慌てて後を追いかけました。
もちろん、A君の家は留守でした。玄関も締まっていて、窓もすべて閉まっていました。
でもB君は、玄関の前で泣き叫びながらドアを叩き、「お菓子!!! お菓子ー!!!!」と絶叫していました。
あまりに異常な様子に、私たちは何も言えず、ただ立ち尽くしていました。
やがて、私は泣き叫ぶB君の腕をつかんで、なんとか引っ張って彼の家まで連れて帰りました。
その翌日、B君は学校を休みました。
先生からは「体調を崩して、入院した」とだけ聞かされました。でも、私たちの間では「お菓子のせいじゃないか」と噂になりました。
それから少しして、A君の家族は突然引っ越していきました。
前触れもなく、ある日突然、家は空っぽになっていたのです。
不思議なことに、それ以降、誰もA君のことを話題にしなくなりました。
名前を出す子もいなければ、「そういえばいたね」と言う子もいません。なんとなく、みんなA君の存在ごと、忘れてしまったような感じでした。
私も、それからは普通に成長し、やがて中学、高校と進学し、地元を離れて大学に通うようになりました。
A君のことも、あの緑色のお菓子のことも、いつの間にか記憶の奥にしまい込んでいました。
ですが、最近になって、なぜか急にA君のことを思い出すようになったのです。
夢に出てくるわけでもないのに、ふとした瞬間にあのお菓子の味を思い出すんです。
口の中に、あの独特な苦みと甘さが蘇ってきて――気づけば、無性に食べたくなっていました。
気になって、昔の同級生たちに連絡をとってみました。
「A君って覚えてる? 外国の子で、昔一緒に遊んでた…あのお菓子、緑のやつ」
でも、返ってくるのは皆、一様に「誰それ?」「そんな子いたっけ?」という反応ばかり。
中には、「あの家ってずっと空き家だったじゃん」と言う子もいました。
それでも、私は確かに覚えているんです。A君の顔も、声も、庭に生えていた変な形の木も。
そして、あのお菓子の味も。
あの日以来、B君とは疎遠になってしまいましたが、試しに彼の実家に連絡をしてみました。
電話口に出た彼のお母さんは、私の名前を名乗ったとたん、しばらく沈黙し、それからぽつりとこう言いました。
「……ああごめんなさい、昔の友人はもう思い出さないで…」
私は思わず「あのごめんなさい、どうゆうことでしょう…」と食い下がったのですが、それきり電話は切れてしまいました。
それでもどうしても諦めきれず、私は帰省ついでに、あのA君が住んでいた家を訪れてみました。
今はもう誰も住んでおらず、草木が生い茂っていて、家もだいぶ傾いていました。
ふと、裏庭に回ると、小さな石碑のようなものがありました。
苔むしていて、何が書いてあるのかよくわかりませんが、その前に、朽ちかけた木箱があり、中には何か乾燥した草のようなものが詰められていました。
私は恐る恐る、その草を手に取ってみました。
途端に、あの味が蘇ってきたのです。口に入れてもいないのに、はっきりと。甘くて、苦くて、忘れようとしても忘れられない、あの緑のお菓子の味が。
その日以来、私はときおり、無性にあのお菓子が食べたくなります。スーパーにも、ネットにも、似たようなものは見つかりません。
おそらく、あれはこの世のものではなかったのでしょう。でも、あの味を思い出すたびに、胸の奥がざわつくのです。
懐かしいような、怖いような、不思議な気持ちになって、どうしてもまた食べたいんです。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)