怪文庫

怪文庫では都市伝説やオカルトをテーマにした様々な「体験談」を掲載致しております。聞いたことがない都市伝説、実話怪談、ヒトコワ話など、様々な怪談奇談を毎週更新致しております。すぐに読める短編、読みやすい長編が多数ございますのでお気軽にご覧ください。

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瞬きをしない人々

その日、朝から街はいつも通りの慌ただしさに包まれていて、通勤ラッシュの人々が流れるように駅に吸い込まれていきます。


私も流れに身を任せるように駅の改札を通り抜け、いつものようにホームに立っていました。

 

特に変わったことは何もありませんでした。


ただ一つ違ったのは、電車が混雑していていつも座れないはずが、その日は座席に座ることができました。


目の前に座っていた女性が、駅を過ぎてから急に立ち上がり座席が空いたのです。


皆気が付かないはずはないのに、誰も座ろうとしません。


(ラッキー!)


私は空いた席に座ると、すぐにまぶたが重くなり眠ってしまいました。


夢の中で何を見たのかは覚えていません。ただ、心地よい揺れと電車の音が耳に残っていました。

 

目を覚ますと、窓の外は見慣れない風景でした。

 

 

ビル群が立ち並ぶ都市に向かっていたはずなのに、緑豊かな丘陵と真っ青な空が広がる田園風景に変わっています。


(寝過ごした!)


私は驚いて周囲を見渡しました。乗客たちは静かに電車に揺られています。


「ここどこ?」咄嗟に声に出てしまいましたが、乗客たちの視線が私に向かうことはなく、ただ静かに前を見つめています。

 

なぜか彼らの様子に違和感を感じました。


違和感の正体は分かりませんが、見ていると心の中が不安でいっぱいになってきます。


私は立ち上がり車両の端まで移動してみましたが、異様な静けさが支配する車内はただの景色でしかなありませんでした。


(とりあえず次の駅で折り返そう…)


私は車両の端っこで立ったまま窓の外を眺めていました。

 

駅に着くと、普段ならアナウンスが流れるはずが一向に流れません。ホームに降り立つと、周囲の様子はさらに奇妙でした。


人々はいつもと同じように動いていますが、やはりどうしても違和感を感じます。


駅名の表示が見当たらず、近くにいる駅員さんに声をかけようと近寄ったとき、その違和感の正体に気が付きました。


「瞬きしてない…」


私は思わず口に出してしまいました。


しかし目の前にいる駅員さんも、周りにいる誰もが私に見向きもしません。


心の中で不安が渦巻きます。ちょうどその時、逆行きの電車が到着しました。


「そうだ、早く会社に行かないと」


私は、あえて周囲を見ないように急いで電車に乗り込みました。

 

なんとかギリギリで職場に着くと、既に皆それぞれの席に付いています。


今朝の不思議な体験を誰かに話したくて、仲良しの同僚の席に向かうと、


「…え?」


彼らは一様に瞬きをせず、無表情に私を見つめています。正確には、私の顔のある方向に目線を向けているだけでした。親しみやすい表情など一切ありません。


さらに、普段騒がしいオフィスが静まり返っていることに気が付き、恐怖が身体を締め付けました。

 

思わず食堂に駆け込むと、食堂のおばちゃんも同じように無表情で接してきます。


いつもなら「今日も頑張ってね」と声をかけてくれるはずなのに、彼女はただ私の顔の方を向いているだけで、やはり瞬き一つしません。

 

(何が起こっているの!?)叫ぶような思いで周囲を見ました。人々は静かにコーヒーを飲んでいましたが、彼らの目はまるで空を見つめているかのようでした。

 

その瞬間、私は一つの思いにたどり着きます。


「違う世界に迷い込んだかもしれない」どう考えても、いつもの会社や同僚、食堂のおばちゃんとは別物です。


私は思考を整理させようと目を閉じました。


すると、食堂の音や人々の声など一切の音が聞こえません。


「…何も聞こえない」そう言った私の声さえも音にならず、世界は静寂に包まれていました。


私の心は不安と恐怖でいっぱいです。


「もう一度電車に乗れば帰れるかもしれない!」私は藁にもすがる気持ちでした。

 

私は急いでホームに戻り、再び電車が来るのを待ちました。

 

 

電車が到着し座席に座ると(もし帰れなかったらどうしよう…)不安で押しつぶされそうです。


電車が動き出したその時、駅のホームに立つ一人の女性に目がとまります。


私と目が合った瞬間、その女性は微笑みを浮かべて瞬きをしたのです。

 

徐々に動いていく電車の中で、私は彼女から目が離せませんでした。


「瞬きした!」思わず声に出すと、隣りの乗客が怪訝そうに私の方を見ています。


ハッとして周囲を見ると、乗客たちは元の表情を取り戻し、瞬きを繰り返していました。


どうやら元の世界に戻ったようです。


その時、心の底から安心したのを覚えています。その後はただひたすらボーっと窓の外を眺めていました。

 

やがて電車は最寄り駅に到着し、私はホームを後にしました。ふと彼女がいるような気がして振り返りましたが、そこには誰もいませんでした。


駅から出て周囲を見渡すと、いつもと何ら変わらない街の様子が広がっています。街の喧騒を聞きながら、私はようやく安堵の息をつくことができました。

 

あの時迷い込んだ世界は一体何だったのでしょう…


それと、ホームに立っていたあの女性は誰だったのでしょうか。全てが今も謎のままです。

 

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