怪文庫

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隣の空き家

俺がまだ小学6年の夏休みの頃の話だ。


うちの実家は、山と川に挟まれたような田舎町にあって、夜になれば虫の音と風の音しか聞こえないくらい静かだった。

 

その年の夏、母方の祖母が倒れたとかで、母がしばらく実家に帰ることになった。

 

父は地元の工場で夜勤がある日もあったから、俺は実質ひとりの夜を何日か過ごすことになった。

 

とはいえ、別に怖がりってわけでもなかったし、当時はゲームと漫画に夢中で、夜中まで平気で起きてた。昼夜逆転なんて当たり前。


家の中でひとりでも、テレビとゲームがあれば特に不安はなかった。

 

ただ、うちの隣には、10年以上前から誰も住んでいない空き家があってな。


昔は人が住んでいたんだろうけど、今は雨戸も閉めきられて、庭も雑草だらけ。玄関の前にある小さな石灯籠が傾いていたのが妙に印象的だった。

 

不気味っちゃ不気味だけど、別に幽霊が出るとか、そういう噂はなかった。町の人たちも「そのうち取り壊されるだろう」とか言ってたし、ただの放置物件って感じだった。

 

でも、ある晩のことだった。

 

夜中、風鈴の音で目が覚めたんだ。


うちは風鈴なんて吊るしてない。父も嫌がるから、家にあったことがない。最初は夢かな?と思ったけど、確かに聞こえてた。小さな、ガラスが擦れるような高い音。

 

そのうち、何か声が混じってるのに気づいた。

 

「……○○ちゃん……○○ちゃぁん……」

 

そう。俺の名前を呼んでるんだ。ゆっくりと、抑揚のない女の声だった。

 

その瞬間、全身に鳥肌が立った。


声のする方は……隣の空き家だった。

 

 

布団に潜って耳を塞いで、それでも心臓のドクドクいう音が止まらなかった。


その夜は気絶するように寝た。夢だと思いたかった。

 

だけど、次の夜もまた風鈴の音で目が覚めた。

 

そして、同じ女の声が、俺の名前をゆっくり、何度も繰り返し呼んでいた。

 

しかも前より少しだけ、声が近い気がした。

 

3日目の夜には、もう恐怖で布団から出ることもできなかった。ゲームもテレビもつけられなかった。ただ声を聞かないように息を殺して耐えるしかなかった。

 

父に話しても「寝ぼけてるんじゃねーの?夏風邪じゃないか」と取り合ってくれない。かといって、友達に話すのも変な空気になりそうで、誰にも相談できなかった。

 

4日目の夜。もう俺の中では“声が聞こえるのは当たり前”になっていた。


何故か、その時だけは妙に冷静で、ふと思った。

 

「こっちから返事をしたら、どうなるんだろう?」って。そして俺は、窓に向かって小さな声で答えてしまった。

 

「……なに……?」

 

すぐに返事が来た。

 

「……あけて……」

 

たった一言。抑揚のない、まっすぐな声。


でも、俺はもう動けなかった。体が石のように固まって、ただその言葉が脳にこびりついて離れなかった。

 

それからのことは、よく覚えてない。気づいたら朝になってて、汗びっしょりで布団の上に倒れてた。

 

その日、俺は町内会の古くから住んでるおじさんに思い切って相談してみた。話を聞いたおじさんは、顔色を変えてこう言った。

 

「お前さんの隣の家、昔"青井さん"って若い女が住んでてな。ちょっと変わり者で、近所ともあまり関わらなかった。でもある日突然、姿を消したんだよ。失踪届も出たけど見つかんなくてな」

 

「それからしばらくして、近所で"夜中に名前を呼ぶ声がする"って話が出てきた。特に子どもがよく聞くってな。何人か、返事をしちまった子がいたが……その後すぐ熱を出したり、階段から落ちたり、不可解な事故が起きたりしてたんだ」

 

「で、もう誰も近づかなくなって、そのまま空き家になった。今は誰も触れようとしない。お祓いも一度やったらしいが、効果はなかったみたいでな」

 

俺は背筋が凍った。まさに、今の俺が体験してることそのままだった。

 

おじさんに「絶対に返事をするな。何を聞かれても、絶対に声を出すな」と念を押された。それから俺は、夜寝るときはラジオをつけっぱなしにして、布団の中でイヤホンをして寝るようにした。音楽で声がかき消されるのを期待して。

 

不思議なことに、ラジオをつけるようになってから声は聞こえなくなった。


それどころか、風鈴の音もピタリと止まった。

 

それ以降は、何事もなく夏休みが終わった。母も帰ってきて、平穏な生活が戻った。

 

ただ、ひとつだけ変わったことがある。

 

あの空き家、なぜか1年後に取り壊されることになったんだ。理由はよくわからない。

 

町の回覧板には「老朽化のため」と書かれていたけど、それならもっと前に壊されていてもおかしくないはずだった。

 

取り壊しの工事中、家の裏から土に埋まった風鈴が見つかったという話を、大工の人から父が聞いた。錆びた金属の輪に、割れたガラスの風鈴玉だけが残ってたらしい。

 

「中に何か入ってたらしいが、変なもんだったからすぐ埋め戻した」と。

 

風鈴の音は、それ以来一度も聞こえなくなった。


でも、今でも夏の夜に虫の音が静まった瞬間、ふと自分の名前が呼ばれるような気がすることがある。

 

あの時、窓を開けていたら、俺はどうなっていたんだろうか。

 

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