これは、僕がかつて体験した話です。
僕の実家は所謂、旧家であり地元では少し知られた苗字を持っています。
アレを体験したのは、桜の花が咲き始めた頃でした。
当時の僕は、高校に入ったばかりでした。
毎年この時期になると、端午の節句にあわせて【武者人形】を床の間に飾るのが僕の実家の恒例の行事でした。
もう、高校生なのにいつまで子供じみたことに付き合っていかなければならないのかと、少し辟易していたのです。
4月の初旬、桐の箱に収められている【武者人形】を奥の間から運びだした父はソレをどこかへと運んだのです。
何があったのかと聞くと、今年はちょうど人形の着物の召し替えにあたる年なのだと教えられました。
父の話によると具体的に何年に一度とか決まっている訳ではなく、この家の長男が16歳になる年の節句前に行ってきたそうです。
つまり、今年は僕が16歳を迎える年、それで人形のお召し換えになったのです。
数日して、父がお召し換えの終わった【武者人形】を床の間に飾りました。
人形そのものが綺麗になった訳ではなかったのですが、着物は若干明るい色目の水色になっていました。この季節の空を思わせる青さが新鮮に感じたのを覚えています。
しかし、この夜から僕は不可思議な現象に苛まれることとなったのです。
最初のうちは、いつも誰かに見られているという感覚だけだったのですが、日に日に監視でもされているのではないかと思えるほどになったのです。
なぜか、食欲もなくなり片頭痛や耳鳴りが頻回に起こるようになりました。
市販の頭痛薬を飲んでも一時的にしか良くなせず、病院に行っても良くなることは有りませんでした。
医師は生活環境の変化によるストレスではないかと言うのですが、高校へ進学したというだけで、ここまで酷い状態になる訳がないと悩んでいたのです。
そして、夜に寝ているとおかしな物音が聞こえてくるようになりました。
ずりっずりっ…
最初はまるで足を引きづって歩いているかのような音。更に日がたつと、がちゃ、がちゃと何か重苦しいモノを身に着けたヒトが歩いているような音に変わっていったのです。
その音は、一日ごとに着実に僕の寝ている部屋へと近づいて来ているのが分かりました。
まさか、これが俗にいう『お迎え』が近づいているのかと思ったくらいです。
そして、ソノ音が近づいてくるのと足並みを揃えるかのように僕の体調も悪化していったのでした。
それから、数日が過ぎて端午の節句が間近になったころ、遠縁の叔父が僕を訪ねてきたのです。
どうやら、僕の体調がよくならないことを心配した両親がアチコチに対処法はないかと聞きまわったことで叔父の耳にも届いたのでしょう。叔父はある大学で、民俗学の講師をしていました。
小さいころから面識はあったのですが、一風変わったヒトなので父もあまり近づくなと言っていたのです。
叔父は僕の顔を見ると、深く大きくため息をつきました。まるで、【最悪の事態だ】とでも言っているように。
そして、叔父は父を連れて僕の部屋を出ていったのです。
その晩、僕は急な熱発を起こして救急車で搬送されました。もう、記憶が無いといった方が正しいでしょう。
まるで、体の周囲で激しい炎が燃え盛っているかのような熱さに包まれていたのです。耳元で、大勢のヒトが争いあうような音がずっと聞こえていました。
これから、どうなるんだろ?
もしかして、寿命がつきるってこういうことなのかな?そんなことをつい考えながら、いつの間にか意識を失っていたのです。
軽い風が吹き抜け若草の香が鼻をくすぐって、目を開けました。
ここはどこだろう?僕は生きてるのかな?そんな事を考えていると、少しずつ体に感覚が戻ってきました。
見慣れた天井…。
ぼんやりとした景色が少しずつはっきりと見え始め、そこが居間である事に気が付いたのです。
僕が気が付いた事に気付いたのでしょう、父と母が布団に寝かされていた僕に抱き着くと大粒の涙を流して泣いていたのでした。
後で聞いた話によると、僕が気を失った夜に叔父は【武者人形】をもって離れの別室に一人で籠っていたというのです。
そこで、何をしていたのか…それは、居間に置かれた【武者人形】を一目見てわかりました。
元の着物に戻っていたのです。
黒っぽい着物、そして見慣れた16枚の花弁を模した家紋が見えました。
叔父によると、この紋は、「十六葉菊」(じゅうろくようぎく)と呼ばれている家紋で、かつては【織田信長】が帝から拝領した家紋なのだそうです。
そう言いながら、叔父は手にしていたハギレを僕の目の前で広げました。
薄青色の生地に、五角形を模した家紋。それは、「桔梗紋」と呼ばれるものだと教えられました。
更に、この紋を水色に染めたものは、とある武将の家紋だったというのです。
叔父が重く口を開くと、こう言ったのでした。
「水色桔梗紋は、明智家の家紋」
織田の血筋の家に伝えられてきた【武者人形】に、明智の家紋を纏わせるなど正気の沙汰ではない、と。
織田と明智、信長と光秀。
特に歴史に興味がある訳では有りませんが、これが僕の身に起きたということは事実です。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)

