怪文庫

怪文庫では都市伝説やオカルトをテーマにした様々な「体験談」を掲載致しております。聞いたことがない都市伝説、実話怪談、ヒトコワ話など、様々な怪談奇談を毎週更新致しております。すぐに読める短編、読みやすい長編が多数ございますのでお気軽にご覧ください。

怪文庫

地図に載っていない町

都市伝説や怪奇現象というものは、山奥の村や過疎地の旧道のような、いわゆる“人がいない場所”で起きるというイメージがある。


僕自身、そう思っていた。少なくとも、東京の中心部のような場所で、そういうことが起こるなんて想像もしなかった。


だが実際に体験してしまった以上、それを否定することはできない。


あの出来事が何だったのか、今でもよく分からないままだ。

 

その日、仕事が長引き、帰宅が終電間際になった。


疲れていたが、なんとかホームに滑り込んできた各駅停車に乗り込み、車内の片隅に空いていた座席へどっしり座り込んだ。


深夜で人は少なかったが、車内にまったく人がいなかったわけではない。


目を少し閉じたのは覚えている。


気がつくと、電車は止まっていた。乗客の姿はなく、車内は妙に静かだった。


終点まで行ってしまったのだろうかと思い、扉をくぐりホームに降り立った。


そこで違和感を覚えた。駅名がどこにもない。


どこを見ても、駅名標や路線図といったものがまったく設置されていなかった。


あるべき場所に何もない。張り紙すらない。


その代わりに、古い掲示板に紙が何枚か残されていたが、どれも湿気かなにかで読めなくなっていた。


改札へと進んだが、そこにも案内表示がない。


改札機は動いておらず、手動式の柵のようなものが、開いたままになっていた。


まるで誰かが意図的にすべての情報を消し去ったようだった。スマートフォンを取り出して現在地を確認しようとしたが、圏外だった。


ただの圏外ではなく、電波マークが完全に消えていて、時間表示も止まっていた。位置情報も取得できない。オフライン地図さえ開けなかった。


改札を抜けて外へ出ると、そこには都市の夜景が広がっていた。ビル、道路、街灯、舗装された歩道。明らかに郊外ではなかった。


ただ、人の姿がどこにもなかった。車も通らず、店も閉まっていた。


コンビニのような建物に明かりが灯っていたので、入ろうと近づいてみた。


扉は開かない。中に並んでいる商品も、どれも無地の白い包装で、何の商品か分からなかった。


棚はきれいに整頓されていたが、人の手が入ったような気配が感じられなかった。駅前の通りをしばらく歩いていると、同じような建物がいくつも並んでいた。


高層マンションやオフィスビルのようなものもあったが、窓に明かりはあるのに、誰の気配もない。


看板には文字がなく、道路標識や案内板もすべて真っ白だった。どこか人工的な景観に見えた。


現実の都市に似せて造られたかのような、“模造品”のような印象を受けた。


違和感は徐々に強まっていった。歩いても歩いても風景が変わらない。


曲がり角を過ぎても、同じ店、同じ建物、同じ街灯が繰り返されているようだ。

 

 

何かがおかしいと確信したのは、時計に気づいたときだった。


駅構内、ビルの壁、街灯の上部にあるデジタル表示、すべての時計が「1:13」で止まっていた。


自分のスマートフォンの時刻も、同じ時刻で固まっていた。


一度来た場所に戻ろうとしても、道がつながっていない。


通ってきたはずの通りが消え、建物が入れ替わっており、景色が記憶と一致しない。


まるで街全体が、こちらの動きに合わせて変化しているような感覚に陥る。


焦りを感じながら歩き続けるうち、線路が見え始めた。


その先に駅らしき構造物が見えたので、急いで向かった。


そこにはホームがあり、構内放送のような音も聞こえてきた。


しばらく待っていると、電車がやって来た。車内には数人の乗客がいる。吊り広告やモニターも通常通り表示されていた。


その電車に乗ってからは、何事もなかったように最寄り駅まで戻ることができた。


時間は「2:36」。電波も復旧していた。


先ほどまでいた場所は、どこにも記録が残っていなかった。


乗車履歴も、移動記録も、すべて正常なルートになっていた。


後日、あの夜と同じ時刻、同じ路線に乗ってみたが、あの駅は現れなかった。


終点まで乗っても、そこは見慣れた駅で、駅名標も路線図も通常通りだった。


念のため、都内の路線図や構造を調べてみたが、そのような場所は見つからなかった。


駅の構造、町の配置、どれも見覚えのある都市に似ていたが、完全には一致しなかった。


あの出来事を誰かに話しても、まず信じてもらえないだろうと思う。夢だったのではないかと、今でも疑っている。


だが、体に残っていた汗の感覚や、靴底についた泥の汚れが、それが夢ではなかったことを物語っている。


そして、ひとつだけ妙な点がある。


その日の帰宅後、着替えをしていると、ズボンのポケットから折りたたまれた紙が出てきた。


手触りのある、現実の紙だった。


破れかけたその紙には、赤い線で描かれた見覚えのない路線図が書かれていた。


以降、終電では絶対に眠らないようにしている。


そして、降りる駅を間違えないよう、ドアが開くたびに駅名標があるのを確認している。


どこかで、再びあの場所に行ってしまわないように。

 

著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)