私が愛知県にある犬山のイルカ池について話すのは、これが初めてだ。
別に誰かに信じてもらおうとは思っていない。ただ、ここ最近になってまた夢にあの池が出てくるようになったから、忘れる前に書いておこうと思った。
犬山には、観光地として有名な犬山城やモンキーパークがあるけれど、その裏にひっそりと存在する「イルカ池」は、観光マップには載っていても、地元の人でさえ話題にすることが少ない。
静かすぎて逆に不自然なほどで、行き方を知っている人も限られているようだった。実際に私があの池にたどり着いたのも、偶然に近かった。
数年前、私は仕事で精神的に参っていて、現実逃避も兼ねて週末は一人で心霊スポット巡りをしていた。
半分は好奇心、半分は死に場所を探していたのかもしれない。
そんなとき、ネットの古い掲示板で「犬山のイルカ池には近づくな」という書き込みを見つけた。曰く、
「イルカ池には“モノ”が沈んでる。それを見た者は、最初は夢に“目”が出るようになり、最後は自分も池に引き込まれる」
正直、よくある都市伝説のテンプレだと思ったけれど、そのスレッドにだけ異様にリアルな体験談がいくつか並んでいた。
「夢の中で池の底に引きずり込まれた」
「見覚えのない人の顔が水面に浮かんでいた」
「右目だけの人影に追われる」──そんな言葉がなぜか胸に引っかかった。
週末、私は犬山まで電車で向かい、土地勘もないままGoogleマップだけを頼りに探し回った。
観光案内所でも「イルカ池について知ってますか?」と聞いたけれど、名前だけは把握している様子だったが、詳細までは誰も語りたがらなかった。
「ああ、あそこ……昔からちょっと気味が悪いって言われてるみたいですけど、詳しくは……」と濁された。
結局たどり着いたのは、民家が疎らになった山のふもと。舗装されていない湿った草が茂る細道を抜けると、急に視界が開けて池が現れた。
周囲に案内板も柵もなく、まるで誰にも知られたくないかのような場所だった。
池そのものは、人工的なため池に近い造りだったが、水が異様に黒い。光を吸い込むような黒さで、昼間にもかかわらず水面が何も映さなかった。
池のふちには、小さな木製の祠のようなものがぽつんと置かれていて、その中には布を巻いた石のようなものがあった。
布は濡れていて、何かの文字が染み出ていたが、はっきりとは読めなかった。
それ以外は特にその日は何もなく、帰ったのだが、それ以来、私は夢を見るようになった。
最初は池の夢だった。
水面がざわつき、遠くから何かが私を見ているような気配だけがある。
次第にその夢の中で“目”を見るようになった。真っ黒な空間に、ただ一つだけ目が浮かんでいる。異様に濁っていて、まばたきもせず、ただじっと私を見ていた。
現実にも奇妙なことが起き始めた。
池に行ってから3日目の夜、自宅の玄関前に、濡れた布が置かれていた。まるで、あの祠にあった布と同じように。
さらに、夜中になると部屋の窓が少しだけ開いていることに気づいた。最初は閉め忘れたと思っていたが、数日連続で続くようになり、鍵もかかっているのに、朝になると10センチほど開いていた。
ある日、出勤前にスマホのインカメラを何気なく起動したとき、自分の肩越しに“目”のようなものが映り込んで一瞬で消えた。
それは夢に出てきた、あの濁った目と同じだった。
それからというもの、夢はどんどんリアルになっていった。
水音、風の音、匂いまで感じる。池の底から何かが這い上がってくるような気配があり、夢の中で、誰かの声が聞こえた。
「見たからには、戻れない」
私は怖くなって、ネットで「イルカ池 呪い」などのキーワードを検索しまくった。
だけど、最初に見つけた掲示板は消えていて、検索してもそれらしい情報は出てこない。まるであのスレッドそのものが削除されたかのように痕跡が消えていた。
しかし、私のスマホの写真フォルダには、あの日撮った池の写真だけが残っていた。どの写真も、中央が微妙に歪んでいて、光が入り込んでいない。
フィルターをかけたわけでもないし、心霊写真加工アプリを使った覚えもない。
それでも、何か異常なものがそこに写っているように感じた。
私はその後、引っ越した。携帯番号も変え、SNSもすべて削除し、できる限り過去の自分から切り離した。
それでも半年に一度くらい、またあの夢を見る。あの濁った目が私を見ている夢。何も語らないけれど、確実にそこにまだいる。
最近になって、また夢の頻度が増えてきた。
日に日に鮮明になっている気がする。
目の視線だけでなく、背後から何かが迫ってくるような気配。夢なのに、目覚めても首筋に冷たい感触が残っているような朝が続いている。
先週お払いには行ったが、私はこの話を誰かに伝えておくべきなのかもしれないと思って、これを書いている。
信じるかどうかは自由だ。ただ、もしあなたが犬山で「イルカ池」という名前を見かけたら近づかない方がいい。
ほんとうに、何かが“いる”から。それは、夢の中だけの話ではない。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)

