怪文庫

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満月の夜

子供の頃、私と妹2人は両親に連れられて、車で20分ほどの距離に住む母方の祖母によく会いにいっていました。


私と妹たちを祖母に預けることもあれば、祖母に何かを届けたり、ただ孫娘を会わせるためだったり。父方の祖父母と同居していたこともあり、一人で暮らす母方の祖母が寂しくないようにと、その頻度は多かったように思います。


帰りは夜になることが多く、まだ夜に出掛けることの少なかった私は少し冒険をしている気分で、父の運転する車に揺られながら流れていく外の景色を眺めていました。

 

その日も夜になって祖母の家を出て、車を止めている少し離れた場所まで歩いていました。

 

いつもより明るい気がして振り返ると、満月が空で光っていました。


車に乗り込み、私はすぐに窓に顔を向けました。

 

当時の我が家の車は後部座席が3人席になっていて、私が右側に、真ん中と左側に妹が乗っていました。両親は前の運転席と助手席です。


その日の満月は、特に大きいわけでも変わった色をしているわけでもない、普通の満月でした。


何度も見たことがあるはずなのに、なぜかその日はやけに後ろが気になって、窓に顔を押しつけるようにして月を見ました。

 

 

初めて、月が追い掛けてくる、と思ったことを覚えています。

 

月はただ空にあるだけなのに、なぜか動いているように感じたのです。


角を曲がっても、大きな通りに出ても、位置を変えながら月がついてくる。私はちょっと怖くなり、後ろを見ることをやめました。

 

ふと気付くと、いつもと違う道を車が走っていました。


といっても、知らない道ではありません。いつも通る家の前に続く道の、上に線路が通る高架を挟んで隣の道でした。


父は工事でもない限り気分で道を変える人ではなかったので、珍しいなと思い、「パパ、なんでこっちの道なの?」と声を掛けました。返事はありません。


父は機嫌が悪いと私たちを無視することがあるので、また機嫌が悪いのかなと返答をもらうことを諦め、私は前のめりにしていた上半身を背もたれへと戻しました。

 

街灯の黄色い灯りの下を通り過ぎ、車内が暗くなりました。いえ、暗いけれど車内がよく見えます。


なぜか視界すべて青みを帯びていました。水族館の水槽の前にいるときのような景色に、私は妹たちを見ました。

 

視線が合いません。2人はただ真っ直ぐ前を見ていました。


その無表情にぞっとして、そうしてさっきからずっと車内が静かだったことに気付きました。

 

妹たちの名前を呼び、次に「ママ」と助手席の母を呼びました。


誰からも反応はありません。


それでも車は走っています。よく知っている、近所の景色です。


そういえば、追い掛けていた月はどうなっただろう。と思い出し窓を向いたとき、窓の上で何かが動きました。

 

そして、窓にはり付きました。


それは、人の顔でした。


視界と同じ青い顔が、車の上から上半身を下ろし、私を見ていました。


癖のある黒髪が、青い顔の横で不自然に揺れています。

 

車は走っているのに、まるでそよ風に吹かれているようなゆったりとした動きでした。


叫びたいのに声が出ず、そして目を離すこともできず、私は青い顔と見つめ合いました。


あとから考えると、そのときの私には表情というものがなかったように思います。

 

身体中の筋肉が冷たく脱力していて、顔にも力が入っていなかったのです。


青い顔の背後に、よく一緒に遊ぶ友だちの家が見えました。我が家はもうすぐです。


家に帰るには、次の角を曲がり、高架下を通らなければいけません。


微動だにしない父は、ハンドルを切るのでしょうか。


パパ、と呼びたかったです。でも喉は僅かに震えただけで、声を発しませんでした。

 

目の前には、瞬きすることなくこちらを凝視する、大きな目。ようやく青い顔が女性であることに気付きましたが、だからといってどうにもなりません。

 

 

この恐怖から抜け出すには、家に帰らなければいけない。なぜかそう感じていた私は、何度も頭の中で父と母を呼びました。


ほんの僅かな距離が、とても長かったです。


せめて妹たちの無事を確認したい。妹たちを守りたい。そう思っても、自分は視線を動かすこともできない。


絶望を感じたそのとき、身体が揺れました。視界の中の景色が動きを止め、次いでゆっくりと旋回していきます。


車は、高架下を通り、家の前の道に出ました。


高架下の暗さを引きずった視界は、もう青くはありませんでした。


すぐに街灯が現れ、妹たちが「うちだー」と楽しそうに笑いました。


両親も車の揺れに従い、動いています。

 

身体中の筋肉が力み、そして脱力しました。ぐったりと背もたれに沈む私をバックミラー越しに見て、父が「もう着くから寝るなよ」と言いました。


「うん、わかってる」


掠れていたけれど、私もきちんと声が出ました。


車が止まって降りたとき、あの女性はいませんでした。そして先ほどまであんなに怖かった月もどこか普通の月に感じ、遠くの空に線路で欠けた満月が見えました。

 

祖母の家からの帰路で、あの道を通ったのはその日だけでした。


普段友だちと遊ぶエリアだったので、車でなければそれ以降も普通に通ったり、遊んだりしたけれど、あの日以降一度も青い景色も、青い顔も見てはいません。

 

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