これはあるビルのエレベーターにまつわる話です。
そのビルは7階建てで、当時私はそのビルの4階で働いていました。仮にAビルとします。
Aビルは昭和の終わり頃に建てられた、やや古びた見た目でしたが、中は比較的しっかり管理されており、新しい消防法などにも対応していたと思います。
Aビルにはそれぞれのフロアに1社ずつ、会社が入っておりました。ただ、3階だけはずっと空きでした。
ビルの使用者はほぼ全員、一階エントランスの鍵も持っていました。
ある冬の日のことです。
連休中に忘れ物に気づいた私は、今まで一度も使ったことのないエントランスのキーを使い、事務所に行くことにしました。19時ごろでしたがあたりはもう真っ暗で、空調も切れた古いビルはまるで廃墟のようでした。
Aビルはビルに入ったら、ビル全体のブレーカーを操作しなければエレベーターは動きません。電灯は別のブレーカーで管理されているらしく、普通に明るくはなります。
一度も操作したことのないブレーカーを操作することに、私は躊躇しました。
4階までなら登ればいいか。扉の閉まったままのエレベーターを多少名残惜しく見つつ、階段を上がりました。
4階に着くと、頬に冷たい風を感じました。
しっかりしているとはいえ古いビルなので、新しいビルに比べ断熱材などが傷んでいるのでしょうか。Aビルは空調かしだと、室内とはいえとても寒いのです。
私は急いでデスクに行くと、忘れ物を回収し、さっさと帰ることにしました。
「あれ?」
そのとき、おかしなことに気がつきます。エレベーターです。
さっき一階でブレーカーを操作しなかったために不動だったはずのエレベーターのランプが、廊下の向こうでポツンと光っています。
「もしかして、昨日最後に管理人さんがブレーカーを下ろすのを忘れたのかな?」
もしそうなら、どうせなら登る時に気がつけば良かった。少し損した気持ちもありましたが、下のボタンを押しました。
「え?」
なんと、エレベーターの扉はすぐに開いたのです。
つまり、4階にとまっていたということになります。
おかしくありませんか?エレベーターというのは、最後に人が降りたところにとまるはずです。4階にいるということは、4階に誰かが今もなお止まっているということになります。
再び冷たい風が頬を撫で、私は気がついてしまいました。
寒いのはわかります。しかし、施錠してある室内で、風が吹いているのはおかしいのです。
エレベーターの扉は開いたまま……中の灯りはいつもと何も変わらないはずなのに、なぜか乗ってはいけないという気持ちが強くしました。
「どこかの窓があいてるのかな!」
私は敢えて大声を出しました。
そうしないと怖くてたまらなかったからです。大声を出すことで怖さは少し紛れました。
「雨が降ったら大変だし、閉めたほうがいいかな!」
誰に聞かせるでもない独り言を大声で言いながら、少しずつ、少しずつ、階段に向かって進みました。
「おかしいなー、全部の窓を閉めたはずなのにな……」
ようやく階段です。
目の端に、エレベーターから黒い人影のようなものが飛び出してくるのが見えました。
私は無我夢中で1階まで駆け降ります。
追いつかれる!追いつかれる!逃げなくては!
そして1階で待っていたのは、管理人さんでした。
「たまたま通ったらエントランスの扉が開いていたので、誰かいるのかと思って見に来た」
私は心底ほっとしました。
エレベーターが動いたのは、オカルトな原因ではなく、管理人さんが動かしたからだったのでしょう。
「4階ですが、冷たい隙間風が酷いです。なんとかしてください」
管理人さんは首を傾げました。
「先月も同じことを言われて調べたけど、どこも漏れてなかったんですよ」
私は虚を突かれた気持ちで管理人さんを見ました。
「先月?」
「ええ、あの亡くなった課長さんがしつこく言ってきて」
確かに先月、私の上司が仕事中に突然亡くなりました。心臓発作とか、そんなことだったと思います。
「課長が、隙間風を気にしていたんですか?」
「とても気になるから、休みの日に自分でも調べると言っていましたよ」
私はゾッとしました。そういえば、課長はよく一人で休日出勤していました。
そして、この4階のオフィスに一人でいるときに亡くなったと聞きました。
4階にエレベーターを止めたまま、二度と1階に降りて行くことはなかったのです。
今もまだ、休日の度に、隙間風がどこから吹いているのか探しているのかもしれません。
自分が死んだことに気が付かない、そんなことはあるのでしょうか?そもそもその風自体、死を招く風、黄泉から呼ぶ風では?
そこまで考えて怖くなり、私は管理人さんに挨拶してAビルを出ました。
オフィスそのものが怖くなり、その後2回くらい出社して仕事は辞めてしまいました。
Aビルは今は取り壊されたと思います。あのエレベーターから降りてきた影のことを思い出すと、怖くてとても跡地も見にいけないので定かではありません。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)
