これは私が学生時代のことです。
もう20年ほど前、千葉のとある海沿いの街で、夏休みの実習がありました。
たった2日で単位がもらえるということで、学校からの距離のわりに参加人数は多かったです。
実習では、自分でウニを捕まえて生態を観察することになっていました。
初日の朝イチで各々のウニを捕獲に行くはずだったんですが、私ともう一人は寝坊してしまって、捕まえることができなかったんです。
それで先生になんとか交渉して、日中の観察は他の人のウニを見せてもらい、改めて夜に二人で自分のウニをとりにいくことになりました。
乗り換えも含めて2時間かけてきた学生に、先生も情けをかけてくれたのだと思います。
私はというと、友達と旅行気分で来たんだし、夜の海なんてなんだか怖いから行きたくなかったのですが、寝坊したもう一人が直前のテスト結果が壊滅的で、この単位がないと困ると泣きつかれてしまい、結局二人で夜の海に向かいました。
昼間と全然違う真っ暗な海は、波の音だけが繰り返し響いていて、夏休みの海という賑やかな印象とは真逆でした。
街灯も少なく、懐中電灯を頼りに磯を歩きましたが、岩の影が大きく揺れて、何度も誰かが隠れているように見えました。
風に混じって磯の匂いと生臭い匂いが鼻を刺し、思わず息を止めてしまったことも覚えています。
足元に当たる波は冷たく、思っていた以上に夜の海は重苦しいものでした。
ただ、毎年同じ実習をしている先生が二人で行くように言うのだから、危ないことはないのだろうと自分に言い聞かせました。
捕まえるウニは、お寿司屋さんでよく見るようなムラサキウニやバフンウニではありません。ガンガゼという、棘が長いやつです。
暗い海を覗いてライトで照らすと、これがコンクリートにびっしりくっついているのが見えました。
数は多いし、ウニなんて簡単にとれそうに思えたのですが、なんとガンガゼはウニのくせに、網が近づくとすごい速さで逃げるんです。
私も友達も鈍臭い方なので、みるみるうちに捕まえられそうな場所のウニはみんな逃げてしまいました。
これでは単位が取れないよ、彼女が泣きそうになったとき、一際大きなウニが一匹だけ残っていることに気がつきました。
あれだけ大きければ、二人で観察できると思いました。
絶対に捕まえよう、二人で示し合わせてそっと網を近づけます。
もう後がないので必死です。さっきまで逃げられた経験を生かして、ゆっくりゆっくり網を動かしました。すると、やっと成功です。巨大なウニは網に入りました。
しかし、手繰り寄せようとした瞬間、なぜか網が突然めちゃくちゃ重くなり、あっという間に手を離してしまったんです。
海面に沈んでいく網は信じられないくらいの速さで、暗い海の底へと引きずられるように消えていきました。
私も友人も呆然と立ち尽くし、しばらく声も出ませんでした。
二人でガッカリしながら宿に戻り、翌朝先生に事情を話すと、とりあえず網を回収することになりました。
このままだと海にゴミを捨てただけになる、二人もついていきました。
網は無くした場所と同じ場所に沈んでいて、すぐに見つかりました。
先生が別の網を使って引き上げると、私たちの視線は自然とそこに集中しました。
「ウニ、入ってますか?」
恐る恐る聞いた私に、先生は無言で、しかも無表情で何も答えてくれませんでした。
網も返してくれませんでした。
覗き込むと、そこには何も入っていないように見えました。
ただ――網の網目に、びっしりと……人間の髪の毛にしか見えないものが絡み付いていました。
黒く長い毛が濡れて張り付き、海水に揺れるたびにぬるりと動く。量は尋常ではなく、まるで頭皮ごと剥がれ落ちたようでした。
私は思わず後ずさりました。
隣の友人は小さく悲鳴を上げましたが、先生は眉ひとつ動かさず、その網をゴミ袋に入れました。
そして何事もなかったかのように車に戻ったのです。
車の中でも先生は一言も話しませんでした。
私たちも口を開く勇気はなく、異様な沈黙だけが流れていました。
結局、私たちは先生が捕まえたウニで単位をもらうことができました。
夜の出来事も、朝の出来事も、先生は二度と話題にしなかったので、私たちも何も言えないままでした。
でも、今でもたまに思い出してしまいます。
あの重さ、絡み付いた髪の毛……でも、確かにあの「ウニ」は動いたんです。
網いっぱいになるほど大きなウニなんて、見たことも聞いたこともありません。一匹だけなのに、二人が同時に落としてしまうほど重いウニがいるでしょうか?
もしウニではなかったとしたら……あれはいったい何だったのでしょうか?毎年実習をしていた先生は、正体を知っていたのでしょうか?
臨海実習はその後、急に廃止になったと聞きます。
やはり学校から遠すぎるし、たった2日で単位をもらえるなんて都合が良すぎますよね。
でももしかすると……あの日、私たちが捕まえかけた「それ」のせいで廃止になったのかもしれません。そんなふうにも考えてしまうのです。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)
