これは、私がまだ地方の大学に通っていた頃、実家のある集落で実際にあった話だ。
あの一件以来、私は“神社に奉納されたものを触ってはいけない”という言葉を心から信じている。
私の地元は、山間部の小さな集落で、人口も100人を切るくらいの限界集落だった。
夏になると決まって「火伏せ祭り」という行事があって、集落の中央にある小さな社に、家ごとにお供えをしていく風習があった。
お供えといっても、お酒やお米、塩なんかで、たいしたものじゃない。
ただ、どの家も必ず「黒い袋」を一緒に奉納する決まりがあった。
その袋は麻でできていて、中には家ごとの“厄”を封じ込めるとされていた。
毎年その袋を神社に預け、翌年の祭りで燃やす。
燃やすことで厄が清められ、家族に災いが来ないという。
子供の頃は深く考えたこともなく、ただそういう習慣があるものだと思っていた。
大学進学で地元を離れて数年後、久しぶりに実家へ帰った時のこと。ちょうど祭りの日で、懐かしさもあって顔を出してみた。
しかし神社の境内は、どこか重苦しい雰囲気に包まれていた。
村人たちは神妙な顔つきで、黒い袋を次々に並べていく。
私は軽い気持ちでその様子を写真に撮ろうとしたが、横にいた年配の女性に「やめなさい」と強い口調で止められた。
「この袋には、悪いものが入っとる。写真なんか撮ったら、あんたに憑くよ」
冗談かと思ったが、その目は本気だった。
それから夜になり、火を焚いて袋を燃やす儀式が始まった。
みんなが火の周りを囲んでいるとき、ある家の袋だけがなかなか燃えなかった。
火の中でじりじりと焦げるだけで、形が崩れない。
村人たちはざわつき始め、やがて神主が火箸のようなもので袋を突くと、中から“髪の毛の束”のようなものが落ちた。
誰かが小さく悲鳴を上げたのを覚えている。
その家は最近、家長が急に倒れて亡くなったばかりだった。
「厄が強すぎる」と神主が呟いた瞬間、火が一気に燃え上がり、真っ黒な煙が空へ昇っていった。
それから数日後、その家の奥さんも急病で亡くなった。
村では“黒い袋の祟り”と噂されたが、誰も深くは語らなかった。
私が本格的にその話を調べようと思ったのは、翌年のことだ。
大学を卒業して就職する前に、卒論のテーマで「地方の民俗信仰」を扱っていて、地元の資料を集めようと思った。役場に残る古い記録を調べると、「黒袋供養」という言葉がいくつか見つかった。
どうやら戦後すぐの頃から始まった風習らしい。
元々は“村の厄を封じるための儀式”で、各家で一年間に起きた不幸を袋に閉じ込めるのだという。
そして、燃やすことで再び災厄が繰り返されるのを防ぐ。
しかし、問題は中身だった。資料には「厄とともにその象徴を入れる」としか書かれていない。
象徴とは何か。
地元の古老に話を聞くと、かつては病人の使った箸や髪の毛、時には“形見”のようなものまで入れたらしい。
中には「亡くなった人の爪」を入れたこともあったという。
私はゾッとした。それは、ただの供養袋ではなく、“封印”だったのではないかと思った。
ある晩、古い社の裏手にある納屋を見に行くと、燃やしきれなかった黒袋が積まれていた。
年数が経って麻がほつれ、中身が見えかけているものもある。
興味本位でひとつを持ち上げた瞬間、強い吐き気に襲われた。
湿った土と腐臭が混ざったような、形容しがたい臭いがした。
反射的に手を放した途端、後ろから声がした。
「それ、触ったらあかん」
振り返ると、地元の神主が立っていた。
神主は私に向かって淡々と語った。
「袋の中には、恨みや悲しみも一緒に入っとる。燃やしきれなかったものは、まだ浄化されていない。触れば、その思念をもらってしまう」
私はその場を離れ、二度と社の裏には近づかなかった。
それから一週間後、私は高熱を出して倒れた。
病院では原因がわからず、ただのウイルス性と診断されたが、夜になると妙な夢を見るようになった。
黒い袋がいくつも積まれ、その中から無数の手が出て、私を掴もうとする夢だ。
目が覚めると、部屋の隅に泥のような跡が残っていた。
母に聞いても「掃除した形跡はない」と言われた。
熱が下がった後も、しばらくの間は金縛りや耳鳴りが続いた。
それが止んだのは、実家の神棚の前で謝罪の祈りを捧げた数日後だった。「軽い気持ちで触ってすみません」と。
それ以来、地元では黒袋の儀式が行われなくなった。
神主が亡くなったこともあり、後継者がいなかったという。
ただ、不思議なことに、その年から集落では原因不明の火事や事故が相次いだ。
“袋に封じられていた厄が、解き放たれた”と噂する者もいたが、真相は誰にもわからない。
今でもあの夢を時々見る。
火の中で燃えきらない袋が、じりじりと黒煙をあげて崩れる映像だ。
あれを触った瞬間から、何かを連れてきてしまったのかもしれない。私は今も、社の前を通るとき、無意識に目をそらしてしまう。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)

