怪文庫

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カーテンのない部屋

これは、わたしが出産後、いろいろな事情のため、僅かな間、子供と一緒に隠れ住んだ古いアパートで起きた出来事です。


そのアパートは、築40年以上は経っていて、見るからに傷みが進んでいました。

 

しかし当時のわたしは貧しく、また、できるだけ早く子供と住むことができる場所を見つける必要があったのです。

 

そしてそのアパートは、敷金礼金が不要であり即日入居可かつ家賃が破格に安かったため、他を選ぶ余地がありませんでした。


アパートは二階建てであり、それぞれの階に3部屋ずつ、計6部屋ある造りでした。

 

わたしが入居した時、6部屋のうち、2部屋しか人が住んでいない状態でした。その二部屋とも、一階でした。

 

つまり、二階には誰も住人がいない状態だったのです。

 

部屋選びの際、どこでも良いですよ、と仲介業者から言われたました。

 

特に、二階の部屋は異様に安く、この値段だったら嘘みたいに助かるわ、と思ったのですが、物件を見て、一階に決めました。


二階には階段を上ってゆくのですが、粗末なトタンの屋根が斜めについただけの、ほぼ吹きさらしの階段で、生まれて間もない子供を抱きかかえて上るのは嫌だなと思ったのです。

 

防犯上は二階のほうが良いと分かっていましたし、とても安いのも魅力だったのですが、足を滑らしそうな階段を見て、やむを得ず一階を選びました。


わたしと当時乳飲み子だった子供は、一階の三部屋あるうち、真ん中の部屋に住むことになりました。

 

 

見た目通り、古いアパートでしたが、つかの間の住居と思えば住めないことはありませんでした。

 

何より、わたしたちには事情があり、こんな荒れたアパートでも、親子二人でやっと落ち着いて過ごすことができる憩いの場のように感じられたのです。


今でも思い出しますが、あのアパートの周辺は、廃屋や廃田、滅多に人が来ない資材置き場などがあり、細い小路の脇には可愛い花を咲かせる雑草が茂っていて、寂しいながら不思議に懐かしい感じがしました。

 

すぐ側が車どおりの多い県道なのですが、アパートのある辺りはひっそりとして、まるでそこだけ昭和の中期くらいで時代が止まっているようでした。

 

子供がぐずって泣き止まない時は、よく、おんぶして、えんえんとその小路を行ったり来たり歩いたものです。草の匂いが強いその小路は、ただひたひた歩くには何の邪魔もありませんでした。子供もいつの間にか眠ってしまい、わたしもほどよく疲れて部屋に戻ったものです。

 

両隣の住人は、どちらも世捨て人のような雰囲気の人たちでした。

 

片側は一人暮らしの高齢の男性であり、朝早く、作業着姿で出ていきます。もう片側は貧しそうな老夫婦が住んでいて、あまり愛想は良くなかったです。


どちらも訳のありそうな住人で、わたしたちの間に交流はありませんでした。


ですから、子供が夜泣きをしてさぞ迷惑だろうと思っていても、特段文句を言われることなく、また、わたしからお詫びの挨拶に出向くような雰囲気ではなかったのです。


古くてあちこち傷んでいたものの、人間関係の苦労もなく、散歩もできるしで、アパートの生活も悪くないものだと思い始めた頃です。


あれは、入居後二か月くらいした頃だったでしょうか。


いろいろと事情を抱え、精神的にも疲弊していたわたしでしたが、ずいぶん自分を取り戻していたと思います。

 

いつまでもこのアパートに住んでいるわけにはいかない、子供も赤ちゃんのままではない、第一このアパートは小学校からあまりにも遠すぎて、成長した子供がここから通学するには無理がありました。


色々と活動を始め、忙しくなってきたある日の夜、ふっと目覚めました。

 

なにか足音がしたと思ったのです。


隣かな、と思いましたが、どうやらそうではありません。子供はすやすや寝ています。

 

時計は午前2時あたりを指しています。


ことんことん、とまた音がしました。はっきり聞こえたので、それが上の部屋から響いていることが分かりました。


「誰か新しく引っ越してきた人がいるんだ」と、思いました。


そんなことが、毎晩のように続いたのです。

 

だいたい、日付が変わってから、午前3時になる前くらいに、ことんことんと聞こえるのです。天井が軋むような音もあったので、誰かが歩いているのは間違いないと思われました。


そんなある日の昼間、子供を背負って散歩に行った帰りです。


なにげなくアパートの建物を眺めました。

 

本当に古いアパートだなあ、でも、このアパートの巡り合えたお陰で子供と平和に暮らせたなあ、と感慨深く思ったのです。

 

その頃もうわたしは、次の住居を見つけていました。今月中にここを引き払い、新生活を始めようとする矢先だったのです。


アパートは外側から見ると、人の住んでいる部屋にはカーテンがかかっています。


我が家のカーテンは薄いブルーです。このブルーのカーテンは、実家のお古です。なんでもいいからカーテンをつけなくては、でもお金もないし、と困った挙句に実家の母が「これを使いなさい」とくれたものでした。このブルーのカーテンも、引っ越し先に持っていく予定でした。


両隣の部屋もカーテンをつけています。カーテンがないと、生活が丸見えになってしまうから、絶対に必要なのです。


そうして二階を見上げました。誰もいない二階の部屋の窓は、ぽっかり薄暗い部屋の中が見えて、空洞のようです。


誰もいない部屋って不気味かもしれないな、と思いました。

 

そして、はっとしたのです。


「え、これって」


嘘だと思い、もう一度じっくり見ました。見間違えるはずもなく、二階の三部屋とも、カーテンなどかかっていません。


どの部屋も、明らかに空き部屋です。


(そんなはずない。じゃあ、わたしが毎晩聞いていたあの足音はなんなんだろう)

 

ぞうっとしました。

 

 

散歩中に眠ってしまった子供を部屋の布団に寝かしつけると、わたしは思い切って二階に上がってみることにしました。


どきどきしましたが、変質者や浮浪者が住み着いているのではと思ったらいたたまれなかったのです。子供を護るのはわたししかいないのだ、という思いもありました。


ただ、念のため、ラインで実家の母に、「二階に誰かいる気がしたけど誰も住んでいないみたい。ちょっと見に行ってくる」と送ってから動きました。


コンクリの階段を上り、枯れ葉や砂だらけの吹きさらしの通路を進んで真ん中の部屋の前に来ます。


部屋の造りはうちの同じはずで、台所の明り取りの窓には蜘蛛の巣がかかっていました。


ピンポン。チャイムを鳴らししばらく待ちましたが、もちろん何も返事はありません。

 

もう一度鳴らしましたが、やはり無反応です。


思い切って、ドアノブを握り、回してみると、かちゃりと手ごたえがありました。

 

ドアに鍵がかかっていませんでした。


どうしよう。中を覗こうか、でも勝手に入るのはよくないだろう。


立ち尽くしていると、下から悲鳴のような声が聞こえました。


「あかり、やめなさい。すぐもどりなさい」


はっと見ると、駐車場に母の車が見えました。

 

ラインを見て母がかけつけてくれたのです。


何事かと階下に戻ると、母が青い顔をして立っていました。


「あんた、とんでもないことしられん。あのまま入らんでよかったわ」


母はわたしのラインを見て嫌な予感がし、孫の顔を見るついでにかけつけてくれたのだそうです。

 

そうしてかけつけた時、二階の部屋の扉の前にいるわたしを下から見つけた時、母は奇妙なものを見たそうです。


「二階のな、あんたが入ろうとしとったあの部屋の台所の窓にな、黒い人影が映ってたん」


まさか。だって、あの部屋無人だよ。人の気配もなかったよ。


わたしはそう言いましたが、母は頑として「いや、変なものがあった。あれはやばいもんだわ」と言い張るのです。


その後、部屋で眠っている子供を見ながら、わたしと母は話し合いました。

 

今月いっぱいでこのアパートを出ることになっているが、その間、二階からどんな音がしても見に行かないこと。母は、きっぱりとわたしに約束させました。


「分かったね。絶対だよ」


なにやら訳がわかりませんでしたが、わたしは頷きました。


その後も夜中に足音は聞こえましたが、あまりの不気味さに眠ることもできませんでした。


その部屋を引き払い、別のアパートでの生活が始まったある日、母からラインが入りました。


「あの部屋入らなくて正解だったよ」


あのアパートの、二階の真ん中の部屋は、やはりいわくがあったようです。

 

母は機会があり、あのアパートの仲介業者とは別の、町に古くからいる不動産会社の人から話を聞けたそうです。


「あんたの娘さん、あんなとこに住んどったんか。あんな物件、誰も扱いたがらんちゃ。なんもしらん新しい業者が無責任に紹介しまくっとんがだろ。あかんわ」


 
「あの部屋な、住んだ人が必ず首を吊ってしまうらしいよ。あんたあの部屋勧められたんじゃないの。安かったんじゃないの」


母の言葉に、わたしはぞうっとしたものです。


住んだ人が首を吊る部屋。それは、町の古い不動産会社なら誰もが知っていることであるようです。


あれから十年たちました。あのアパートは、未だ、取り壊されずにあります。

 

この間通りかかった時、二階の真ん中の部屋にカーテンがついていました。


何事もなければよいと思います。

 

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