俺がまだ中学生の頃、母方の実家がある町で奇妙なものを見た。
正確に言えば、“見た”というより、“聞いた”のかもしれない。
それは、今でも思い出すたびに背筋が冷える。そんな音だった…
母の実家は、県境の山奥にある古い集落だった。山と田んぼに囲まれた小さな集落で、電車の駅から車で30分ほど。
電車に乗れることと壮大な庭に山もある。近所には歳の近い子達もいた。都会じゃ味わえない冒険なんかがそこにはあったんだと思う。
ただ、夜になると、家の前の道も真っ暗で、街灯もほとんどなかった。
そして、昔ながらの木造の家で、廊下はやたらと長く、どこか湿った匂いがした。
その家の神棚の横に、奇妙な土鈴が飾られていた。
素焼きの土でできた小さな人形で、丸い顔に、笑っているような、泣いているような表情をしていた。首のところには赤い糸が巻かれていて、その先に小さな鈴がぶら下がっていた。
祖母はそれを「夜鳴き土鈴(よなきどれい)」と呼んでいた。
昔からこの辺りに伝わるもので、夜に鳴くことがあると言われているらしい。
祖母は、俺がその鈴をじっと見ていたときに言った。
「それはね、触っちゃだめなんだよ」
俺はそのとき、ただの言い伝えだと思っていた。
でも、あの音を聞いた夜から、その考えは変わった。
盆の時期だった。
親戚が何人も集まり、家の中は久しぶりに賑やかだった。
夜は縁側で花火をして、蚊取り線香の匂いと一緒に笑い声が漂っていた。
その夜遅く、俺は廊下の突き当たりの部屋で1人で眠ることになった。
今思うと両親はお酒を飲んで居間で酔い潰れていたんだと思う。
窓を開けて寝ようとしたが、外は真っ暗で、虫の鳴き声と遠くの川の音しか聞こえない。
布団に潜って、まどろみかけた頃だった。
……ちりん。っとかすかに、鈴の音がした。最初は風鈴の音だと思った。
でもすぐに、違和感に気づいた。音が風に乗ってる感じじゃない。どこか、重たく、濁った音だった。
「ちりん……ちりん……」
その音は、一定の間隔で鳴っていた。まるで、誰かがゆっくりと鈴を揺らしながら歩いているみたいに。
俺は耳をすませた。
音は、外ではなく、家の中から聞こえていた。廊下の奥……つまり、俺が寝ている部屋の方へ、少しずつ近づいてきていた。
……ちりん……ちりん
木の床を踏むような、かすかな軋みが混じった。
……ちりん。まるで裸足で歩くような足音。……ちりん
息が止まるほど怖かった。
祖母の言葉が頭をよぎる。
“触っちゃだめなんだよ”
俺は布団を頭までかぶった。心臓がうるさいくらい鳴って、音をかき消したいのに、逆に耳が敏感になっていく。
……ちりん
音は、すぐそこまで来ていた。戸の向こう。木戸と布団一枚しか隔てていない距離に、誰かが立っている。
息を殺していると、戸がほんの少し、きしんだ。
誰かが手をかけたように。ガタッっと……
でも、戸は開かない。
さらに続けてガタッ、ガタッ。俺は恐怖で耳を塞いだ。
ガタッ、ガタガタッ。
布団の中で丸くなり、ガタガタと震えていると戸を開けようとする音がなくなった。
俺はホッと安堵し、布団を剥がすと、
ただ静かに「ちりんっ」っと耳のすぐ横で、鳴った。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。声も出せなかった。ただ、体が硬直して、時間が止まったように感じた。
そのまま意識が途切れた。
翌朝、目を覚ますと、外は明るかった。
家の中は朝の支度で慌ただしく、誰もそんなことを気にしていない様子だった。
俺は恐る恐る、昨夜の音のことを祖母に話した。
祖母は何も言わずに仏間へ行き、神棚の横の土鈴をそっと白い布で包んだ。そして、静かに言った。
「……あの鈴はね、戦で亡くなった子のために作られたんだよ。子の魂が帰ってこない夜に、鳴くんだ。なんでも戦最中で両手を無くした。可哀想な子だった…」
それ以上、祖母は何も言わなかった。
けれど、その顔にはどこか、安堵と悲しみが混じっていた。
その年のうちに、祖母はその土鈴を寺に納めた。古くからそうする決まりがあるのだという。“鳴いた鈴は人の手に置いてはいけない”と。
次の年から、あの音は聞こえなくなった。
けれど、夏になると決まって、同じ夢を見る。暗い廊下の向こうから、あの濁った鈴の音が近づいてくる夢だ。
ゆっくりと、ひとつ、またひとつ。ちりん……ちりんっと。そして俺の耳元まで来たところで、目が覚める。あの音だけが、今でもはっきりと残っている。
数年前、祖母が亡くなったあと、実家が取り壊されることになった。
解体の日、現場の人が「仏間の床下から小さな鈴が出てきた」と言っていたらしい。母が見せてもらったが、祖母が寺に納めたはずの鈴と、そっくりだったそうだ。
白い布に包まれていて、赤い糸が少しだけほつれていたという。
その晩、俺は窓を開けて寝ていた。
風のない夜だったのに、耳の奥であの音がした。
「……ちりん」
あれから何年経っても、夏の夜の静けさが怖い。
まるで、誰かが俺の帰りを待っているような気がする。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)

