高校生の時、私たち家族が住んでいた古いアパートの上の階に、明らかに“おかしな人”が住んでいました。
その住人は四十代くらいの女性で、家族はもちろん、アパートの他の住人たちも極力関わり合いを持たないようにしている、アパート内の“腫れ物”のような存在でした。
騒音は日常茶飯事でした。ドスンドスンという足音はまるで誰かを追いかけているかのようでしたし、深夜にはガタガタと物を激しく倒すような音が響き渡ります。
一度は、排水溝を詰まらせたらしく、そこから水漏れが起こったこともありました。
それだけならまだしも、住人は時折、アパートの外から私たち家族の部屋を覗き、カーテンのわずかな隙間からじっとこっちを睨みつけているのが見えました。
しかし、実際に何かされるわけでもなく、家族みんな「変わった人だね」と、ある意味麻痺して気にしていませんでした。
ある日の夕方、私が帰宅すると、郵便受けに厚みのある茶封筒が入っていました。
外側にはうっすら水滴がついています。冷たいものが入ってる?と思いながら、封筒の口が少し開いていたので中を覗くと、思わず息が止まりました。
厚い紙か何かでできたものに包まれて、人の指のような、生々しいピンク色の肉片が見えたからです。
私は一気に鳥肌が立ち、すぐに母に茶封筒を持って行き事情を説明しました。
母はすぐに警察に連絡。警察官立会いの下、封筒を開けました。
中から出てきたのは、肉片ではなく、串刺しにされ、毛をきれいに剥がされた鳥の死体…。
茶封筒が湿っていたのは、その死体から染み出た体液のせいでした。
警察は不審物として預かってくれましたが、誰が何のためにポストにいれたのかも分からず、しばらく気味が悪かったです。
その晩、私は布団に入り電気を消しました。
鳥の死体が怖くてなかなか寝付けませんでしたが、ウトウトし始めたその時、足の上にゆっくりと重たいものが乗って来ました。
当時猫を飼っていたので、「ああ、猫が一緒に寝にきたのだな」と思い、安心感から目を閉じかけました。
その瞬間に気付いてしまったのです。
「あれ、部屋のドア、閉めてる…」
猫が入るはずがない。
その瞬間、足元に乗っていた何かが一気に顔に向かって駆け上がってくるのを感じました。
顔の近くに来る!!と思った瞬間、視界一杯に長い髪の毛がぶわっと見えました。
両手を掴まれ羽交い絞めにされたのですが、恐怖で声が出ない……。
どれくらいの時間だったか、ふっと体が軽くなり、跳ね起きると誰もいなくなっていました。
あの鳥の死体は、ただの嫌がらせではなかった。
誰かが仕掛けた「呪い」のような何かのせいで、家の中に異変を呼び込んでしまったのだと、直感的に悟りました。
心霊現象の恐怖からようやく落ち着いた頃、今度は上の階から激しい言い争うような声が聞こえ始めました。
それは喧嘩というよりも、何を言っているか判別できないほどの早口の叫びで、相手がいるのか、あるいは一人言なのかさえも分かりません。
内容は理解不能ですが、その声は憎悪と狂気に満ちていて、聞いているだけでこちらまでおかしくなりそうでした。
騒音があまりに酷く、アパートの別の住人が通報したのでしょう。
間もなく、アパートの前に警察官の乗ったパトカーが到着しました。
警察官が上の階へ行き、ドアをノックする音、そして住人と警察官のごく普通の、静かな会話が聞こえてきました。
まるで先ほどの狂気的な叫びなど嘘のように、住人は淡々と対応しているようでした。
しばらくすると、警察官は何も解決しないまま、そのまま帰って行きました。
この出来事で確信に変わったのです。あの住人は「外向け」の顔と「私たち家族」に見せる顔が完全に切り替わる人間であり、警察が来ても決して異変を出すことはない。
あの鳥の死体も、あの真夜中の怪現象も、すべてこの理解不能な人間の仕業なのだと…。
警察が去り、上の階の住人の奇行が誰にも止められないことを悟った後、私はどうにもならない恐怖で頭がおかしくなりそうでした。
あの鳥の死体、そして夜中の心霊体験――これは人間の嫌がらせのレベルを遥かに超えている。
何かがおかしい。
もともとオカルトや都市伝説、匿名掲示板の怪談を読むのが好きだった私は、何か手がかりがないかと、スマホを手に取りました。
深夜の掲示板のログを漁っているうち、ある話が頭に蘇りました。それは、「ヒサルキ」という有名なオカルト話に出てくるワンシーンです。
「ヒサルキ」は、ある地方に伝わる恐ろしい奇習を扱った物語で、そこに登場する呪いの描写が、私たちに起きた出来事とあまりにも酷似していたのです。
私は震えが止まりませんでした。あの上の階の住人は、私たちの日常に「ヒサルキ」の世界観をそのまま持ち込んでいる。
ただの変人なのではなく、何らかの狂気に魅入られて、同じような儀式を繰り返しているのではないか?と。
あの静かな監視、そして警察が来ても顔色一つ変えない演技力。
それは、人間としての倫理観を捨てた「何か」の行動だとしか思えませんでした。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)

