これは私が体験した不思議な出来事です。
ひと晩経った今でもこれが夢だったのか、現実だったのか分かりません。
昨日の朝、私は犬のポチを連れて、家の裏手の神社に散歩に行きました。
長い階段を上り、神社の境内を一周して帰って来るのが、朝の日課です。
神社には弓道場があり、朝、弓の練習をしている人がいたり、ジョギングをする人や、私と同じように犬の散歩をする人の姿があるのですが、昨日の朝は誰にも会いませんでした。
神社の境内はしんと静まり返っていました。
いつものように神社を一周して帰ろうとすると、ポチがリードを引っ張りました。
神社の裏手の林の中に入って行こうとします。
こんなことは初めてでした。
ポチは柴犬で、リードを引く力はさほど強くないのですが、昨日は何となくポチの好きにさせてやろおうという気になって、一緒に林の中へと入りました。
林の中には細い道があり、反対側にある広い道路へと抜けるはずです。
しかし、どこまで行っても道路へは出ませんでした。
あれっおかしいなと思いつつ、ポチにリードを引かれるままに私は歩いて行きました。
2、3分ほど歩いた所で、開けた場所に出ました。
その奥には朽ちた民家が立ち並んでいます。廃村。まさにそんな感じの場所です。
こんな所あったんだ、と思いました。不思議と怖さは感じず、寂しい気持ちになりました。
ポチは先へ先へと私を駆り立てます。
ポチについて歩いていると、朽ちた民家の先に、やはり朽ちてボロボロになった祠がありました。
祠にはお札が貼ってあります。
こういうの、剥がすと呪われるんだよね。と思いながら、祠の前で立ち止まりました。
民家はそこで終わり、奥には注連縄で封鎖された林道が続いています。
私は探検家になったような気になって、廃村を見て回りました。
どの建物も、人間が住むには少し小さく、古びて朽ちていましたが、ちゃんと家の形をしていました。
家の玄関にも、祠に貼られていたのと同じお札が貼ってあります。
目の前の家にも、その隣の家にも。
私はそこで初めて、不気味な気分になりました。
「ポチ、帰ろう」
あまり長くここにいてはいけない。本能がそう告げていました。
しかし、ポチは祠の先、注連縄で封鎖された林道へと私を引っ張ってゆきます。
「ポチ、だめ。帰るよ」
いくらリードを引っ張っても、ポチは注連縄の先へ行こうとします。
私はついカッとなって、リードを手放しました。
「もう知らない。勝手に行けば。私は帰る」
リードを離されたポチは一目散に注連縄を飛び越え、林道の奥へと消えてゆきました。
残された私は、急に寒気を感じて、慌てて元来た道を戻りました。
どれだけ走ったか分かりません。
とても短い間にも感じられますし、長い間にも感じられました。
気が付くと、神社の境内に出ていました。
しばらく待ってみましたが、ポチは帰ってきません。
意を決して、さっき入った林の中へと入っていくと、ほんの数分で見慣れた広い道路へと出ました。
ポチはまだ帰ってきません。
あの廃村と祠は何だったのか。
あの時、ポチといっしょに注連縄の先へと行っていたら、自分はどうなっていたのか。
考えても分かりません。
ただ、あれが夢でない証拠に、我が家には空の犬小屋が残されています。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)