怪文庫

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念仏踊り

あれは5歳ころのこと、父親の姉が亡くなったと知らせが来た。

 

母親は慌てた様子で喪服に着替えて「お父さんにご飯を食べさせて、冷蔵庫に昨日の煮物が入っているからね」と言い残して出て行ってしまった。

 

父は脳こうそくで倒れて、半年、自宅で寝たきり、母が介護していた。


「母さんはどこだ?」


「おばさんが亡くなったから、葬式に行った。お父さんのご飯は私がやるね」


私は近所でも、しっかりしていると、よく言われていた。

 

今思うと、5歳の娘に、父親の面倒を託すなんて、考えられないが、母は私がすでにいろいろなことができると、信じていた。

 

4歳年上の兄貴がいたが、買い物も兄貴はあてにならないと、いつも私に言いつけた。

 

ふっと見ると、父親は洗面台につかまりながら、カミソリで髭を剃っている。


お父さん、元気になったんだ。ちょっと驚いたけど、すごく嬉しかった。

 

母さんも喜ぶだろうなと、それでも心配で父親の足にしがみつき見上げていた。

 

父は、ワイシャツを着て、ネクタイを締めて、すっかり礼服に着替えていた。

 

私は父のスーツ姿を見たのは初めてだった。

 

すっかり老人だと思っていた父は意外に若く見えた。

 

脳梗塞の後遺症で、左半身付随、また言語障害があり、上手くはなせない。

 

だから父親との会話もほとんどなかった。


「行くぞ」


そんな父親がしっかりした声で言った。

 

私は寝たきりだった父親が突然起き上がり、車のキーを手にしている姿をぼーぜんと見ていた。


「お父さん、お母さんに叱られるよ」


車の助手席に乗せられて、シートベルトで固定されると、急に恐ろしくなった。


兄貴が何か叫びながら追いかけて来た。

 

父はそれには構わず車を路地から表に出して、真っ直ぐ前を見つめながら、広い通りに出た。

 

中央高速のインターを入ると、東京方面に車を進めた。

 

そこで初めて気がついた。

 

父は伯母の所に向かっているのだ。


「お父さん、大丈夫? おばさんち、分かるの」


父はハンドルを握ったまま、軽く頷いた。


窓のそとは、すでに夕焼けに染まっていた。


私は心細かったけど、口には出さなかった。


どうしていいのかわからずに緊張していた。父もなにも話さないのだ。


気がつくと、高速を降りて、一般道路を走っていた。


ふと開けた道で車を横に寄せると、父が窓の外を指指している。


道路脇の木の枝に実がなっている。


父は手をあげて、もぐような動作をして、また食べる動作も見てとれた。


私は車を降りて、背伸びをしながらなんとか、ひとつだけ実をもいだ。

 

それは梨だった。

 

父に渡すと、かぶりついて、私に返してよこした。


「お父さん、美味しいね」


初めて父が笑顔を見せた。

 

それで緊張がほぐれた気がした。

 

父親は車から降りて来て、わたしの肩に手をおいた、一本道の向こうに葬儀用の提灯あかりが見えた。

 

きっとあの家が伯母のいえに違いない。

 

父と一緒に、一歩ずつ歩いて、家の引き戸を開けた。


「あー吉彦さん、まあ、どうやって来たの?」


父は母を見ると、崩れるように倒れこんだ。

 

すぐに棺の横に、布団が敷かれて父が寝かされた。

 

母がタオルを絞って父の額に載せた。

 

私がそんな父の様子を心配そうに見ていると、父と私の周りを、歌いながらぐるぐる回る人たちに囲まれた。

 

奇妙な面を被った者達が笛や太鼓をたたいている。

 

「念仏踊りだよ。このあたりの葬式なんだ」


母が耳打ちした。


私はそのあと、眠ってしまったのか、目が覚めたときには、家に帰って来ており朝になっていて、母は何事もなかったように、台所で食事を作っている。


「お母さん、お父さんは大丈夫?」


母は「大丈夫よ」と言って薄らと笑った。

 

 

父はそのまま話すこともなく、4年間介護を受けながら亡くなった。

 

葬儀の時、あの時の事を思い出し私は夢を見たのか。この父が車の運転をしたことなど考えられなかった。

 

母に、父と葬式に行ったよね。と昔話をしようとしたら、さらに驚いた。

 

なんと、父は何年も寝たきりで、そんなことはありえないと言うのだ。

 

それからずっと頭の中であれはなんだったのかという思いだけが残った。

 

20歳を過ぎた頃だったか、思い立って、伯母が暮らしていた街に行ってみた。

 

東京都下の街だ、ごく普通の街、伯母が暮らしていたあたりは、川沿いで梨畑がある場所。川は多摩川だ。

 

このあたりだとしたら、川沿いに進むと、分かるかも知れない。

 

川に沿って、2キロ程歩いたけれど、あの時の景色は見当たらなかった。

 

伯母の息子を呼び出した。従兄弟にあたる。年齢は私より2歳下だ。


葬儀の日の話をした。


「〇〇ちゃん(私)、夢をみたんだよ。念仏踊りなんて、聞いたこともないよ」


ただ、梨畑は確かにあった、このあたりは多摩川梨で有名な場所だった。

 

どこまでが現実で、どこまでが夢なのか、境界線が見えない。

 

母がとぼけているとも思えない。

 

父は寝たきりのまま亡くなったのは、事実だから。だけど、あの日、喉を潤してくれた梨の味は、今でもしっかりと記憶にある。

 

伯母の葬儀がいつ行われたのかは、調べていないけど、おそらく記憶にある通りに違いないのだ。

 

ただただ不思議な葬儀に立ち会った記憶だけが生々しく残る。

 

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