怪文庫

怪文庫では、多数の怖い話や不思議な話を掲載致しております。また怪文庫では随時「怖い話」を募集致しております。洒落にならない怖い話や呪いや呪物に関する話など、背筋が凍るような物語をほぼ毎日更新致しております。すぐに読める短編、読みやすい長編が多数ございますのでお気軽にご覧ください。

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海から来るモノ

夏休みになると、民宿を営んでいる祖父母の家で過ごすのが、子どもの頃の楽しみだった。

 

海まで徒歩1分の好立地の民宿は、一組しか泊まれなかったけれど、夏場はほとんど予約で埋まっていた。


要は大きめの一軒家に祖母と祖父、それに私たち一家ー両親と兄と私ー、そして民宿の客たちが過ごすことになるので、家の中はたいそう賑やかだった。

 

奥の座敷は狭いながらも宴会場のようになっていて、夜には民宿の客と街の人のカラオケ大会のようになる。

 

私は昼間、民宿の客と同じように海水浴や森へ虫取りに出かけ、遊びまわってほどよく疲れて帰宅し、新鮮な海の幸をお腹いっぱい食べたのちに、元気に朝までぐっすり眠るのだった。

 

私たち一家と祖父母が暮らすのは広々とした石畳の玄関を上がってすぐの続きの二部屋で、お客さんは正面の階段を上って二階の大広間で寝起きし、暇なときは奥の座敷で過ごす。

 

海水浴客が途切れる夏以外は私たち一家も二階を広くと使うが、お客さんがいるときは二階には立ち入らないように、と強く言い含められていた。

 

一階の部屋はすりガラスで玄関と階段の様子がぼんやり分かる。

 

私はできるだけお客さんと鉢合わせないように気をつけていた。

 

いつも通り海へ行こうと一階の部屋を出て、ちょうど廊下に立っていた一人のお客さんに会ってしまったのはお盆に入ってすぐのことだった。

 

「おや、ここのうちの子だね」


「……こんにちは。おじいちゃんが宿をやってるの」

 

私はそわそわしながら言った。

 

人懐っこい兄はもう中学生だったこともあり、夜に座敷のカラオケ大会にも参加したりして、お客さんと仲良くすることもある。

 

だけど私はまだ小学生だから、と座敷には入れてもらえず、あまりお客さんと会う機会がない。

 

人見知りでうまく話せないし、祖父母に怒られるかもしれないとドキドキしていると、父親と同い年くらいに見えるお客さんはそっとポケットから何かを取り出して、私に差し出した。

 

「これ、あげるよ。うちの娘は好きじゃないって。きみは気に入ってくれるかな」

 

差し出された手を無視できず思わず広げた私の手にぽん、と載せられたのは、

 

「ゴ◯ラだ!」


「そう。これはね、海から来るから」

 

手のひらに収まるサイズのゴ◯ラのミニチュアだった。

 

わあ、と声が出るのを止められない。


私はもらったゴ◯ラを握りしめてそのゴツゴツした感触を楽しみ、照明の当たる角度を変えてみたりして、その出来の良さに感動した。

 

そして、ありがとう、とお礼を言おうと顔を向けた時、すでにお客さんはいなかった。


お客さんも私たちも使う玄関は同じである。

 

私たちは階段の下、大きな引き戸の玄関からすぐの上がり框でしゃべっていたのだが、いつの間にいなくなったのだろう。

 

下駄やサンダルをひっかける音も、玄関の引き戸を開けるときの、海辺の砂を噛んでギシギシ鳴る音も聞こえなかった。


私は少しの間呆気に取られていたが、もしかしたら二階に戻ったのかもしれないー階段を上れば軋む音がするはずだがーと思い、もらったゴ◯ラをポケットに突っ込み、海へ一緒に冒険に出たのだった。


その夜は一人で眠ることになった。


座敷は他の宿に泊まっている海水浴客や、街の人たちで大賑わいらしい。

 

いつもは私と一緒のタイミングで寝る母も、「お酌なんていやだわ、スナックじゃあるまいし」「お父さんもお義父さんももう酔っ払っちゃって」と言いながら祖母に呼ばれて座敷に行ってしまった。


「ちゃんと寝なさいね。玄関はもう閉まってるから、外に出ないのよ。お客さんは座敷の奥の裏口から帰るからね。お母さん、そっちにいるかもしれないから、何かあったら呼ぶのよ」


母の心配はよく分かったが、私は昼間海で泳いで疲れ切っていた。

 

半分目を閉じた状態で布団に寝かしつけられ、あっという間に眠った。

 

どれくらい経ったのか分からない。

 

私はかすかな明かりの中で目を覚ました。あんなに疲れていたのに、まだ夜中だ。


いつもなら朝までちゃんと寝られるのに。

 

カラオケの音楽が大きすぎて目が覚めちゃったのかな、と思ったが、耳を澄ませてもシンと静かで、何の音もしない。

 

宴会は終わったのだろうか。


夜に花火をするお客さんのために付けている玄関の明かりも消えていた。

 

消灯時間が過ぎているのだ。


それでも少し明るいのは、玄関の非常灯の緑の光がすりガラスから差し込んでいるからだ。

 

周囲に布団は敷いてあるが、誰もいない。乱れてもいなかった。


誰もいない。母も父も兄も祖父も祖母も。

 

座敷でみんな寝ちゃったのかな。

 

たまに、酔っ払った父が座敷で寝過ごすことがあった。

 

だが、母と兄は戻ってくるはず……。


急に心細くなって、探しに行こうと起き上がった時だった。


ギシギシギシギシギシ


びくりと動きを止める。


それは、玄関の引き戸が砂を噛む音だった。ゆっくり開くとき特有の、少しひっかかる高い音。


こんな夜中に?今は何時?


お母さんは鍵が閉まってるって。


お母さんはどこ?玄関を開けたのはお兄ちゃん?お父さん?


帰ってきたお客さん?


様々な思考が頭をよぎって、私は凍りついたように動けなかった。


少しの明かりで、玄関からこちらを見れば、向こうから私の影も見えてしまうかもと、息をするのも怖かくなる。

 

ザッザッザッ、と砂のついた靴で玄関の石畳を歩く音がする。

 

海水浴から帰ってきたお客さんがよく鳴らす音だ。


誰か来る。


玄関に通じる部屋のすりガラスをじっと見つめると、非常口の緑の明かりの中に、大きな影が現れた。


そのシルエットは、私がよく知るもので、でも、ずっと大きかった。

 

大きな頭……背びれのようなギザギザ……あれは横顔だ……鋭い、ジャキジャキした牙……あれは本当に……

 

(ゴジ◯だ!!)

 

ゴ◯ラが、玄関から入ってきたんだ。

 

ザッザッザッザッと石畳を踏む音がしている。

 

歩いてるんじゃない、砂を落としてるんだ。

 

これは、海から来るから。来ちゃったんだ。

 

すりガラス越しの影が、上を向いた。

 

動いたことに驚いて、喉の奥がヒッと鳴る。

 

すると、影はこちらを見た。

 

(ダメだ!!)

 

部屋に逃げ場はなかった。

 

なにせ相手はゴ◯ラだ。口から熱線を吐くのだ。

 

ほら、ほら!!こっちを見てる!!!


恐怖が頂点に達して思わず叫びかけたとき、かすかだった非常口の緑の光が、カッ!!と雷のように目を灼いた。

 

思わず目を閉じた私は、そのまま気を失ってしまった。


目が覚めると朝だった。

 

「ほらほら、早く起きないと!ごはん、できてるよ!」

 

母の声にバッと起き上がる。「お母さん!」と大声を上げた。

 

「なあに、どうしたの。怖い夢でも見た?」

 

お茶を注ぎながら母が尋ねる。

 

心臓がバクバクしていた。忙しなく周りを見て、昨夜は綺麗に敷かれていた布団が畳んで隅に置かれているのを確認する。


お母さんが注いだ麦茶を布団の上なのも構わず飲んでいると、やっと部屋の様子も分かってきて、いつもと変わらない朝の光に安心する。

 

昨夜のことは鮮明に覚えていたけれど、夢のような気もしてきた。

 

「夜、みんなどこにいたの?」


「お座敷に行くって言ったでしょ。でもお兄ちゃんとすぐ帰ってきたわよ」

 

お父さんもおじいちゃんもまだお座敷で寝てるのよ、とため息をつく母に、私は昨夜見たことを話した。

 

玄関を開けて、アレが入ってきたこと。

 

こっちに気づかれて、たぶん攻撃をされたこと。


お母さんは驚いたように目を丸くしていたけれど、手の甲で口元を隠すようにして笑い始めた。

 

「夢を見たのよ。朝、ちゃんと表の玄関の鍵は閉まってたもの。それにお母さん、ちゃんと玄関の電気は付けていったからね。真っ暗にならないように。お母さんたちが帰ってきた時も電気はついてたよ。あなたはすやすや寝てた」

 

だあれも来てないよ、あなたは無事よ、とお母さんは言う。顔を洗ってらっしゃい、と続けられて、私は布団を握りしめた。そして、気づく。

 

「私、昨日お客さんにゴ◯ラのおもちゃをもらったんだよ。でも、いつの間にかなくなっちゃった。海で落としたのかも。だから、海からゴ◯ラが来る夢見たのかなあ」

 

ポケットに入れて、海に入る時は握りしめていたあの小さなおもちゃ。昨日眠るときに見た覚えがなかった。


お母さんが首を傾げた。

 

「……昨日は、お客さんはいなかったわ。お二階はおばあちゃんが今日のお客さんを入れる前に大掃除するって、階段も拭き掃除で濡れて危ないから、お布団で塞いであったでしょ?」

 

私はえっと声を上げたまま固まってしまった。

 

(これ、あげるよ。うちの娘は好きじゃないって。きみは気に入ってくれるかな)

 

(これはね、海から来るから)


お客さんの顔を思い出そうとするけれど、お父さんと同じくらいの男の人、としかなぜかわからなかった。


海から来たのは誰だったんだろう。なんだったんだろう。

 

お母さんが隣に座って、背中を撫でてくれた。

 

「今日の夕方、なすときゅうりのお馬さんを浜でみんなで焼きますからね。焼いて、海に流しましょうね。誰か、ご先祖様が帰っていらっしゃったのかもしれないわねえ」

 

それから、私は祖父母の民宿に泊まるとき、絶対に一人では寝ないようになった。


……あれからずいぶん経ったけれど、私はアレがまだちょっと怖い。


最近流行りのリメイク映画を、見に行けないのだけが残念だ。

 

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