怪文庫

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笑う女

もう随分と昔の話です。

 

場所も、今私が住んでいる場所とは全く違う所です。なので、あまり特定とか、そういう騒ぎ方はしないでくださいね。

 

私が子供の頃に体験した話です。

 

地元の山だったんですが、そこは大人たちから「決して入るな、遊び場になどするな」と口酸っぱく言われていた場所でした。

 

街中のように街灯があるわけでもありませんから、野生動物やら不審者が出て単純に危ない、治安が悪いという理由も占めていましたが。他にも

 

「あの山には踏み入れた者を惑わすナニかがいる」

 

とも言われました。


ナニか、とは何だ。私含め好奇心の強い子は皆大人を問い詰めますが。

 

「ナニかが何なのかは大人にもわからない」


「ナニかに遭遇して惑わされた人間は帰って来ず、」


「命からがら帰って来た者も『山にナニかがいた』としか言わない」

 

だから情報があまり無いのだと。

 

あまりに真剣な眼差しで言うものだから、大半の子供たちはビビり散らかしてましたね。

 

大人たちの希望通りか思惑通りか、山に入ろうとする子供はほとんどいませんでした。


私ですか?もちろん当時の私も言いつけは守っていましたよ。

 

 

ただちょっと麓で友人たちと遊んでいて、その時使っていたボールが山の方へ飛んでいってしまって、ジャンケンに負けてボールを回収しに行っただけです。

 

不可抗力ですよ。


ボールの軌道を追って山に入ったんですけど、やはり広大な山の中からボール1つ見つけるのって難しくて、どんどん奥の方に進んで行ったんです。


段々と薄暗くなる中、目を凝らしてようやっと地面に転がる丸い影を見つけ、駆け寄ろうとしたその時でした。

 

茂みの奥から声がしたんです。

 

最初は野生動物の鳴き声かと思ったんですが、どうも人間の…男の声だったんですね。

 

何を喋っているかまでは聞き取れず、私は隠れて茂みから覗くように視線を向けました。


その方向には声の主と思しき男が何かを抱え込むように蹲っていました。

 

クツクツと喉を鳴らしながら笑う男。

 

その背には白く細い女の腕が回されていて、男の足の間からはこれまた白くて細い足が伸びていました。

 

時折恥ずかしがるように、くすぐったがるように動く足が履く赤いハイヒールと、手の爪の赤いマニキュアが妙に鮮明に映りました。


ここまで聞くと、見知らぬ男女が人気の無い山奥に入っていちゃついている、そんな現場を目撃しただけに思うでしょう?


でもね、それだけじゃなかったんですよ。

 

まるで男を逃がすまいと言うように滑り、男の両頬を包む赤い爪の手。

 

何かをブツブツと囁きながら女の胸に顔を埋める男。その向こう、何とね、

 

首から上、そこに女の顔が無かったんですよ。

 

男は首無しの女の身体を抱きかかえてずっと笑っていたんです。

 

死体だったんじゃないかって?それでも怖い事に変わりはないでしょうけど、女の手足は動いていたんですよ。まるで男に絡みつくようにね。


私は一目散にその場から逃げました。

 

男をあの異形のモノから助けなくては、とは考えられませんでした。

 

何せ当時はまだ子供で、とにかく麓の友人たちの所まで戻らねばと必死でしたので。

 

背後からは女の甲高い笑い声が響いていました。


転げるように麓まで戻った私は、周りの友人や大人たちに先程見た光景を説明しました。

 

気が動転して泣きじゃくりながら喋っていたのでどれ程通じたかは結局わかりませんでしたが。

 

それ以降は本当に、山に入ろうとする子は1人もいなかったと思います。

 

山の中で見た男がどこの誰だったのか、その後どうなったのか、分からずじまいです。

 

きっと、あの女が大人たちの言っていた『ナニか』だったんでしょうね。

 

思い出す度に、あの女の笑い声が脳裏にこびりつくような感覚になります。

 

…え?頭が無いのに笑い声がするはずない?いえいえ、ちゃんと聞こえてきてましたし、私は「女の頭を見なかった」とは一言も言ってませんよ。

 

ほら、足元、丸い影が転がってたでしょう?

 

私はね、いくら薄情と言われようとも、あの時あの場から逃げて良かったと、あの丸い影に近付いてこの手で拾わないで良かったと、今でも心底思うんですよ。

 

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