怪文庫

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肝試しのジンクス

これは私が高校一年生のころ、吹奏楽部での一週間の夏合宿の話です。

 

私が所属していた吹奏楽部は1年から3年まで総勢100人の部員を抱える名門強豪校でした。

 

日頃の練習は大変厳しい物でしたが、夏の吹奏楽コンクールの追い込みのため、ある村の山奥の合宿所で行われる強化合宿での練習は精神を病む部員が出るほど厳しい物でした。

 

コンクールに向けた練習のため厳しいというのもあるのですが、コンクールの舞台に立てる人数には最大50人の制限があり、部員は合宿中に舞台に立つことができる一軍と、楽器の運搬など裏方作業に回される二軍に分けられます。


そのため日頃は仲の良い友人同士だとしても、自分の席を守るために蹴落とし合いを余儀なくされるため、部全体の空気はギスギスしがちでした。

 

特に夏のコンクールが高校時代の集大成になる三年生の荒れ具合は酷く、合奏中に音程を外した一軍のトランペットの三年生が全員の前で顧問に叱責され、その場で二軍の二年生と交代させられた時の部内の緊張はピークに達していました。

 

そんなことがあってから3年生と2年生の学年全体がお互いに陰口を言い合ったりするほど不仲になっていましたが、一方で私のような1年生は4月に入部して、練習を初めて数ヶ月という部員がほとんどなので、コンクールの一軍争いには無縁でした。

 

少なくとも無縁に違いないと思っていた私は呑気すぎたかも知れません。

 

私が担当していた楽器はバスクラリネットというかなりマイナーな楽器で、部内では私以外に三年生の先輩が担当しているだけの2人しか演奏者のいない楽器でした。

 

バスクラリネットはコンクールの編成上でも一台あれば良い楽器だったため、当たり前のように演奏歴の長い3年生の先輩が一軍でした。

 

ところが、バスクラリネットの先輩が曲の中で一番、目立つところをうまく吹くことが出来ず、私に一軍の席が回ってきてしまったのです。

 

私自身はプレッシャーが3年生ほどなかったのもあり、特に粗相をすることなく合宿は私が一軍のまま進んで行きました。

 

そして合宿最終日の夜、伝統行事である肝試しが行われたのです。

 

一週間の夏合宿は睡眠、食事、入浴以外ほぼ全ての時間を練習に費やすのですが、最終日の夜に行われる肝試しだけは伝統行事として時間が取られていました。

 

 

肝試しのルールは合宿所の裏手の山に小さなお寺があり、懐中電灯を持って先輩と後輩のペアでお寺に向かいお賽銭箱にお金を入れてくるという、肝試しというよりもコンクールに向けた願掛けのためのイベントでした。

 

ただしジンクスが一つだけあって、お賽銭箱にお金を入れるときに相手と合わせて2人同時にお金を入れないと今後、コンクールの一軍に選ばれないという物でした。

 

私はバスクラリネットの先輩とペアでお寺に向かい、お賽銭箱の前に立ったのですが、2人で息を合わせてせーのでお金を入れるはずが、先輩にお金を持っていた手を叩かれて、私はお賽銭箱にお金わ入れることが出来ませんでした。

 

驚く私を前にしてバスクラリネットの先輩は一軍交代の件の恨み言をぶつけてきました。

 

その先輩は普段はおっとりしていて練習中に間違えても後輩に怒ったりしない穏やかな先輩でしたが、懐中電灯のわずかな光に照らされながら恨み言を言う先輩の姿はひたすらに怖かったです。

 

先輩曰く、自分は他の楽器の奏者として一軍を狙っていたけれど、奏者の少ない楽器に乗り換えて3年生の最後のコンクールに一軍で舞台に上がって卒業したかったそうです。

 

そこまでした執念はすごいかも知れませんが、私自身は暗がりの中でいきなり手を叩かれたことに驚きましたし、その先輩は「私は来年は卒業しているから関係ないけど、あなたはちゃんとお賽銭を入れられなかったから来年は二軍落ち間違いないね」と言って私を置いてさっさと下山して行きました。

 

私は懐中電灯を持って行かれてしまったので、仕方なく先を歩く先輩のわずかな懐中電灯の灯りを頼りに他の部員に合流しましたが、恐ろしいことにお寺の前では激しく恨み言をぶつけてきた先輩が他の人の前では「ごめんね、すぐ後ろを歩いてるのかと思っていたけど、気づかないうちに離れていたんだね。暗くて危ないし声をかけて欲しかったな」といかにも私のことを心配していますと言う様子で話しかけてきたのです。

 

その先輩は3年生の中でもムードメーカーのような人で、私がお寺の前で起きたことを話しても証拠もなく、誰も信じてくれないのが目に見えました。

 

その後も楽譜がなくなったり、楽器の手入れ用品を借りパクされたり地味に嫌な目に遭いましたが、なんとか夏のコンクールに一軍のまま残ることができ、私は舞台に立つことが出来ました。

 

はっきり言ってうんざりしていましたし、わざと間違えてその先輩に一軍を譲ってもよかったかも知れませんが、ここまで嫌な思いをさせられたら、私も意地でも席は譲らないぞという気分になったので根性で一軍に居座ったと言うのが実情です。

 

そしてコンクールが終わった後、私は吹奏楽部を退部しました。部内の人間関係が嫌になったのはもちろんですが、もう少し気楽に楽しく音楽をしたくなったからです。

 

私は退部を選んだので次の年のコンクールに出ることはありませんでした。

 

2人同時にお賽銭箱にお金を入れないと、コンクールの一軍になれないというジンクスは案外、本物だったかも知れません。

 

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