子供の頃、母親から近所にあるアパートの一室には「絶対に近寄ってはいけない」と言われていました。
理由を訊いても幼かったのでよく分からなかったのですが、とりあえず言うことを聞いて行くことはありませんでした。
そもそもそのアパートには行く用事もなかったのですが…
その頃の私は、同じ年頃の男の子と女の子と兄といつも仲良く遊んでいました。
例のアパートのすぐ近くに広場があったので、そこで鬼ごっこをしたりかくれんぼをしていた記憶があります。
しかしあるとき、兄が急に「あのアパートに行ってみよう」と言い出したのです。
例の、母からきつく禁止されていたアパートの部屋のことです。
「なんかね、誰も住んでいないけど幽霊が出るんだって」と兄は言っていました。
「お母さんがダメって言っていたよ」と言っても「大丈夫だよ、幽霊なんかいないもん」と兄はあっけらかんと言います。
正直に言うと行きたくなかったのですが、他の子たちが「面白そうだから行く」と言っている手前、自分だけが残ると「弱虫」とからかわれる、と思い、渋々ついていきました。
そのアパートは家から5分くらいの、本当にごく近所にあるアパートです。
老朽化が進んでいて、壁にひびが入っていたのを覚えています。
全体的に暗い感じの建物で、それだけでも怖かった記憶があります。
例の部屋の前で子ども4人がぞろぞろと押しかけ、兄がインターフォンを押しました。
1分ほどでしょうか、なんだ、何もないじゃないか、と言い合い、帰りかけたときです。
部屋の「中」から、「トン……トン……」とノックが返ってきたのです。
その時の恐怖たるや、ご想像いただけるでしょうか。
まず兄が一目散に逃げ、友人らも逃げ、残された私も大慌てで階段を降りました。
その際にちらりと部屋を振り返ってみたのですが、ドアは相変わらずピタリと閉じたままで、それが余計に怖く半泣きで逃げて家に帰りました。
その後不思議なことが起こりました。
夜になってから私と兄、ふたり同時に高熱を出したのです。
前日まで、というより日中は元気いっぱいに遊んでいたのに、夜になった途端に二人同時に寝込んだものですから、母は「何で?」と不思議がっていました。
私と兄は示し合せた訳ではないのですが、あのアパートに行ったことはひと言も漏らしませんでした。
翌々日くらいに熱が下がり、一緒に行った子たちと集まりましたが、その子たちも同じ時刻に熱を出したと聞いたときはびっくりしました。
やっぱりあの部屋に行ったのが原因だ、と思い、以後あのアパートを通る際は全力疾走をするようになりました。
その後もちらりとあの部屋を見ていましたが、何度見ても、あの部屋の扉が開いたところを見たことはありませんでした。
大人になってから母に聞いたのですが、あの部屋で殺人事件が起こったのだとか。
そして、入居者が入るとラップ音や誰もいないのに人の気配がするなどの奇怪現象が続き、部屋を借りる人が誰もいない、まさに「幽霊部屋」だったのだそうです。
では、あのとき部屋の中からノックを返してきたのは誰だったのか……
数十年経った今でも、思い出すと怖い体験でした。
著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter)