メモ帳と笑顔の女

もう深夜三時を過ぎているというのに、ある出来事のせいで中々眠りにつくことができません。

なので、自分の気持ちを整理するためにもここで話させていただきます。

それは今日の夜に起こった出来事でした。

時刻は八時か九時くらいです。

今日は珍しく上司の機嫌が良く、いつもよりも早い時間に帰宅することができました。

なので、慢性的な運動不足を少しでも解消しようと、散歩に行くことにしました。

散歩するコースは、近所にある大きな県立公園の中です。

公園は道が広く、自然や空気が気持ちいいのでまさに散歩にぴったりだからです。

私はすぐにジャージに着替え、その公園に向かいました。

散歩自体には、問題はありませんでした。

公園に植えられた木を観察したり、日本庭園で泳いでいる鯉に餌をやったりと日々のストレスを解消でき、しっかりとリフレッシュすることができました。

ちょうど足が疲れ始めた頃、目の前に四阿が見えてきました。

その四阿の近くには、自動販売機があるのでまさに休憩するのにぴったりです。

私は自動販売機で缶ジュースを購入し、四阿のベンチに座りました。

もう夜だったので、四阿には私一人だけでした。

 

私はスマートフォンを弄ったり、ジュースを飲んだりしながら、快適な時間を過ごしていました。

しかし、しばらくすると一人の女性がこちらに向かって歩いてきたのです。

女性は四阿に入ってくるなり、私に声を掛けてきました。

「あの、すみません。お邪魔でなければ、私もここで休憩していいですか?」

年齢は三十歳くらい。痩身の綺麗な女性でした。

私は初めは女性のことを、律儀な人だと思いました。

その四阿には正方形で十人くらい座れるベンチが設置されていて内部もとても広いものとなっています。

なので、私に許可を取る必要なんてありません。

私はすぐに承諾しました。

すると、女性は笑顔でお礼を言ってくれました。

女性の笑顔はとても素敵なものでした。

見ていると安堵と心地良さが胸に広がります。

女性は空間が広く空いている端の方の席に座ると思いましたが、なぜか私の隣のベンチに腰を下ろしました。

私も一応男です。

好印象の女性との相席。

それはラブロマンス的な展開を少し期待させました。

しかし、女性はベンチに座るなり、バックからメモ帳のようなものを取り出し、熱心に書き物を始めてしまいました。

私は少しがっかりしました。

しかし時間が経つにつれ、女性の存在を忘れていきました。

仕事のことをあれこれ考えたり、スマホのゲームをしているうちに時間が経過していきました。

女性がベンチに座ってから、十五分程度が経ったころでした。

女性は手を止め、メモ帳から顔を上げました。

そして、私に声を掛けてきたのです。

どうやら、自動販売機で飲み物を買いに行きたいので、少しの間だけ鞄を私に見張って欲しいとのことでした。

私はその役目を引き受けると、女性は四阿を後にしました。

女性が自動販売機に向かっている間、私は手持ち無沙汰になりました。

そこであれこれと見ている間に、ふと視線がメモ帳を捉えました。

メモ帳はベンチの上に、見開かれるように置いてありました。

女性はとても熱心に何かを書いていた。

私はそれがどういった内容のものなのか気になり、興味本位でそのメモ帳を覗き込んでしまいました。

今にしてみれば、なぜそんな軽率な行動をしてしまったのでしょうか。後悔しかありません。

もしも、そのメモ帳を覗かなかったら、私は今頃、あれこれ考えずにすやすや眠りにつけていたのですから。

メモ帳には、びっしりとボールペンで小さな文字が殴り書きされていました。

文字は小さく、辺りも暗いため最初は何が書かれているかさっぱりでした。

私はスマートフォンの画面の明かりを近づけて、もう一度、目を凝らしてメモを見ます。

すると、そこには信じられない文字が書かれていました。

「殺してやりたい。殺してやりたい。殺してやりたい。殺してやりたい。殺してやりたい。」

殺してやりたいの文字の連続が広がっていました。

 

しかし、最後に書かれていた言葉だけが違いました。

最後に書かれていた言葉はこうです。

『目の前に座るこの男も殺してやりたい』

その一文を見た瞬間、慌てて私はメモ帳から目を離しました。

ちょうどそのタイミングで、女性は自動販売機から帰ってきたのです。

女性は私に礼を言い、そして見張ってくれたお礼にと、私に缶ジュースを手渡してきました。

女性の顔には絶えず笑顔が張り付いていました。

しかし、私はもうその笑顔に、先ほどのような素敵な印象を汲み取ることはできませんでした。

私はそこから少し経って、四阿を後にしました。

もちろん女性から貰った缶ジュースは飲んでいません。

帰り道の途中にあったゴミ箱に捨てました。

今も女性のことが忘れられません。

一体、あの女性はなんだったのでしょうか。

何を考え、何を思って、あのメモ帳に「殺してやりたい」という文字を書き連ねていたのでしょう。

そしてなぜ、目の前に座っていた殺してやりたい男である私に、あのような低姿勢の態度、そして一ミリの曇りのない笑顔を浮かべられたのでしょうか?

考えれば考えるほど全身に悪寒が走り、眠りにつけそうにありません。

すみません。お付き合いいただきありがとうございます。話は以上です。

 

著者/著作:怪文庫【公式】(Twitter