僕が大学生の頃の話だ。
当時、地元の山奥にある有名心霊スポットでもある廃村に興味を持ち、友人と探検に行くことになった。
噂では、そこには古くから変わった風習が残っていて、村人の行動は普通の常識では測れないと言われていた。
僕たちは心のどこかで怖いと思いながらも、好奇心のほうが勝っていた。
その日、日が落ちる前に村に到着した。
建物はほとんど朽ち果て、屋根が落ち、壁にツタが絡まっていた。静まり返った村の空気は異様で、足音が石畳に反響して妙に大きく聞こえる。
友人と一緒に、懐中電灯を手に持ちながら歩き始めた。
最初はただの廃村探索のつもりだった。
村の中心に、小さな神社の跡があった。鳥居は倒れかけ、石段は苔むしている。
そこで僕たちは、妙に新しい足跡を見つけた。泥で濡れた跡は人のものだった。面白半分で訪れた若者の足跡かと思ったが、誰かがここに来ているのは確かだった。
不思議に思いながらも、僕たちは足跡をたどることにした。
足跡は小屋のような建物の前で途切れていた。
窓ガラスは割れ、扉は半開きだ。中を覗くと、古びた祭壇があり、そこに人形のようなものが置かれていた。
人形は手作りで、目だけが赤く塗られている。
妙に生々しく見えて気味が悪かった。
心臓が跳ねる音が聞こえそうなほど緊張した瞬間、背後で「見つけた」と低い声がした。
振り向くと誰もいない。足音も風の音もない。ただ、人形の目だけが光っているように見えた。
僕たちはすぐに逃げ出した。
しかし帰り道、村の外れで奇妙な現象に遭遇する。
道沿いに置かれた小屋の扉が、僕たちの動きに合わせるかのように開いたり閉まったりしているのだ。
僕が声を上げても返事はない。ただ扉がゆっくり揺れる。
友人は無言で僕の腕をつかみ、引っ張るようにして逃げようとした。
その瞬間、村の奥から、かすかに笑い声が聞こえた。高く、鋭く、しかし妙に人間的な響きだった。
振り返る勇気はなく、ただ全力で駆け出す。
懐中電灯の光が揺れるたび、木々の影がまるで手を伸ばしてくるように見える。息が切れ、心臓が痛いほど鼓動していた。
やっと村を抜け、舗装された道路に出たとき、背中に冷たい視線を感じた。
振り返ると、木の間に誰かが立っていた。
黒い服で顔はよく見えない。ただ、立っているだけなのに異様な存在感があった。
僕たちは声も出せず、その場から走り去った。
後日、友人から聞いた話だが、僕たちが見たのは村の古い風習に関わる『守り人』と呼ばれる人物だったかもとの事だ。
村では外部の人間が入ってくると、人形を置き、姿を見せることで追い返すという。
つまり、あの赤い目の人形も、背後に立っていた黒い影も、人間の仕業だったというわけだ。
僕はその体験以来、表向きにはただの怖い話として語っている。
しかし心の奥底では、人間の狂気というものを身近に感じた瞬間だった。
山奥の村の神秘や奇妙な風習も怖いが、それ以上に人間が持つ異常性が一番怖いのだと、あの夜はっきり理解した。
その後も友人と話すと、時折あの村の話題になる。誰かがあの人形をまた見たとか、あの声を聞いたと言うのだ。僕はそのたびに笑いながらも背筋が凍る感覚を覚える。人間が一番恐ろしい存在であることを、あの夜、僕たちは学んだのだから。
村の存在自体は、今でも地図にはほとんど載っていない。新しい道路ができ、廃村は少しずつ崩れ、木々に覆われていっている。
しかし、奇習や風習が本当に消えたかどうかは分からない。僕は二度とあの村には近づかないと決めている。
ただ、夜道でふと背後に視線を感じるたびに、あの黒い影を思い出す。
ここからが追加の話になる。
あの体験からしばらくして、僕のもとに見知らぬ番号から電話がかかってきた。
出てみると無言だった。最初は間違い電話だと思い切った。しかし数秒後、受話器の向こうからあの笑い声に似た音が聞こえてきた。
たったそれだけで、あの夜の恐怖が一瞬で蘇った。
電話はその一度きりだった。偶然だとは思いたいが、偶然にしては出来過ぎている気もする。
さらにしばらく経って忘れかけた頃、また不可解な出来事があった。
深夜に家の前を誰かが歩く音がした。規則的な歩き方ではなく、時々止まり、またゆっくり歩き出すような足音だった。
まるで家の周りを確かめているように聞こえた。怖くてカーテンを開けることができなかった。
翌朝、家の前に小さな紙切れが落ちていた。
泥が少しついていたが、明らかに誰かが意図的に置いたのだろう。
紙には赤いペンで丸が一つ描かれていた。
それだけだ。しかし、あの村の人形の赤い目と重なって見えてしまい、僕はしばらく震えが止まらなかった。
友人に相談すると、あいつらは村の風習を持ったまま都会に出てきているんじゃないかと冗談めかして言っていた。
その冗談すら、僕には笑えなかった。
時折思うことがある。あの村は確かに廃れている。しかし、風習や文化というものは形を変えて残るものなのかもしれない。人形も影の男も、あれは村に残った最後の者たちの警告だったのではないか。
そして僕らが不用意に踏み込んだことで、風習の痕跡が外まで追ってきたのではないか。
もちろん科学的に説明できることばかりだと思いたい。ただ、すべてがあの村を訪れた時期に重なったという事実だけが気にかかるのだ。
今でも時々思い出すのは、あの村の神社跡で見た赤い目の人形だ。妙に丁寧に作り込まれていて、目の塗りも何層にも塗り重ねられた跡があった。
あれを作った人間の気持ちを考えると、もうそれ自体が恐怖だった。
最近またあの廃村の近くで、奇妙な足跡が見つかったという噂を聞いた。誰も住んでいないはずなのに、新しい靴跡が山道に続いていたという。
僕はその話を耳にしたとき、あの守り人の姿が頭をよぎった。
あれからどれだけ時間が経っても、不思議と恐怖が薄れない。むしろ年を重ねるごとに、あの夜の意味が重くなっていく気がする。
人形も笑い声も黒い影も、結局は人間の仕業だ。しかし、その人間が何を考えていたか分からないというだけで、これほどまでに怖いとは思っていなかった。
だから今はもう、興味本位でああいう場所に近づくのはやめようと思っている。
あの夜に踏み込んでしまった僕が言うのも変かもしれないが、知らないほうがいい風習や、触れてはいけない文化というものは確かに存在する。
僕の中では、あの村はその代表だ。
なんにせよ、もう確かめるつもりはない。あの赤い目をした人形の視線を、これ以上思い出したくないのだ。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)