これは私が大学3年生だった頃、今から数年前に体験した話です。
特定を避けるため、地名や人物名は仮名、あるいはぼかして書かせてもらいます。
当時、私にはKというバイト先で知り合った友人がいました。
Kは地方の山間部出身で、性格は温厚そのもの。絵に描いたような「お人好し」で、頼みごとをされると断れないタイプでした。
私もそんなKの性格に甘えてお金を借りたりしていたのですが、ある夏休みの前、Kから珍しく強引な誘いを受けました。
「実家の蔵を整理するんだけど、男手が必要なんだ。バイト代も出すし、飯も美味いから手伝ってくれないか?」
普段、自分から主張することのないKの頼みです。私は二つ返事で了承しました。
Kの実家は、県境を越えた先にある、山を二つほど越えた集落にありました。
「限界集落」という言葉が頭をよぎるような場所でしたが、Kの実家は驚くほど立派な日本家屋でした。
広い敷地に母屋と離れ、そして裏手にはKが言っていた古い蔵がありました。
到着すると、Kのご両親と、腰の曲がったお祖母さんが出迎えてくれました。
みな非常に愛想が良く、少し過剰なほど私をもてなしてくれました。
夕食には山菜や川魚だけでなく、どう見ても高級な和牛のすき焼きまで振る舞われました。
「わざわざ遠くから来てくれて、本当にありがとうねぇ」
お祖母さんが私の手を握り、しわくちゃな顔で何度も頭を下げるのです。
私は(蔵の整理ごときで、ここまで歓迎されるのか?)と少し恐縮してしまいましたが、悪い気はしませんでした。
その夜、Kとお酒を飲みながら雑談をしていた時のことです。
Kが少し言いにくそうに切り出しました。
「実はさ、蔵の整理っていうのは建前なんだ」
「いや、整理するのは本当なんだけど、一番の目的は『探し物』なんだよ」
Kの話によると、この家には代々伝わる「守り神」のような木箱があり、それが蔵のどこかに仕舞い込まれているらしいのです。
近々、Kの家で親戚一同が集まる法事があり、その時にその木箱をお披露目しなくてはならない。しかし、どこに仕舞ったか分からなくなってしまったので、一緒に探してほしいとのことでした。
「なんだ、そんなことか。任せとけよ」私は拍子抜けして笑いました。
しかし、Kは笑っていませんでした。妙に真剣な、何かに怯えるような目で私を見ていたのを覚えています。
翌朝、私たちは早朝から蔵に入りました。
埃っぽい蔵の中には、古い農具や長持、古文書のようなものが乱雑に積み上げられていました。
私たちは手分けをして、目的の「木箱」を探しました。Kの特徴説明によると、それは「黒塗りの小さな箱」で、「絶対に開けてはいけない」とのことでした。
作業を始めて3時間ほど経った頃でしょうか。私が蔵の二階の奥、古びた箪笥の裏側を覗き込んだ時、それを見つけました。
埃にまみれてはいましたが、異様な存在感を放つ黒い箱です。大きさは弁当箱くらいでしょうか。
「K、これじゃないか?」
私が声をかけると、Kが血相を変えて階段を駆け上がってきました。
箱を見た瞬間、Kの顔からサッと血の気が引くのが分かりました。
「……あった。これだ」
Kは震える手で箱を持とうとしましたが、すぐに手を引っ込めました。
「俺、ちょっとお袋を呼んでくる。お前、そこで見ててくれ」
そう言うと、Kは逃げるように蔵を出て行ってしまいました。
取り残された私は、その黒い箱を何気なく眺めていました。
ここで、好奇心が勝ってしまったのです。「絶対に開けてはいけない」と言われると、中身が気になるのが人間の性でしょう。
それに、箱には鍵がかかっていませんでした。蓋が少し浮いているようにも見えます。
(ちょっと見るだけなら……)
私は軽い気持ちで、その蓋に手をかけました。
蓋は、驚くほど簡単に開きました。
中から、防虫剤のようなツンとする臭いと、獣臭さが入り混じったような異臭が漂いました。
私は思わず鼻をつまみながら、中を覗き込みました。
そこに入っていたのは、想像していたような骨董品や宝石ではありませんでした。
中に入っていたのは、ぎっしりと詰め込まれた「髪の毛」と「爪」、そして無数の「紙切れ」でした。
紙切れは黄ばんでボロボロになっていましたが、そこには墨や鉛筆で、びっしりと文字が書かれていました。
『〇〇が死にますように』
『隣の家の火事は私のせいではない』
『あの子が流産しますように』
『店のお金を盗んだのがバレませんように』
読んでいて吐き気がしました。それは、呪いの言葉や、誰にも言えない罪の告白でした。
「……見たのか?」
背後から低い声が聞こえ、私は飛び上がりました。
振り返ると、Kが入り口に立っていました。
いつもの温厚なKではありませんでした。無表情で、冷たい目で私を見下ろしています。
「見ちゃったなら、仕方ないな」Kは淡々と言いました。
「それは『穢れ櫃(けがれびつ)』っていうんだ。俺の家系、というかこの集落ではな、昔から自分の中に溜まった『悪意』や『罪悪感』を、その箱に入れる風習があるんだよ」
Kの説明は、あまりにも常軌を逸していました。
「人は生きていると、他人を憎んだり、小さな悪事を働いたりする。それを抱え込んだままだと家に災いが起きる。だから、髪や爪と一緒にその思いを紙に書き、この箱に封じ込める。そうすれば、罪は許され、心は清らかでいられるって教えてもらった」
身勝手極まりない「免罪符」のようなシステム。しかも教えてもらったって…まさかあのお祖母さんからか……
「でも、箱がいっぱいになったらどうするんだ?」
私が尋ねました。
Kは少しだけ口角を上げて、笑いました。
「溢れそうになったら、『外』に捨てなきゃいけないんだよ。でも、ただ捨てるだけじゃ祟りがある。だから、家の外の人間……つまり『部外者』に、箱ごと持ち帰ってもらうんだ」
その瞬間、すべての点と線が繋がりました。
Kが私を誘った理由。家族が私を過剰に歓迎した理由。「探し物」を手伝わせた理由。
私は、この家の数十年分の「悪意」と「罪」を押し付けられるためのゴミ箱として呼ばれたのです。
「お前が見つけてくれたから、契約成立だ。触っただろ? 開けただろ?」
「俺さ、ずっと嫌だったんだよ。この家の長男だからって、親父やお袋、婆ちゃんの汚い本音を全部知らされて、この箱を守らなきゃいけないのが。気が狂いそうだった」
Kの目は、完全に据わっていました。
「でも、お前が持って行ってくれるなら、俺は解放される。お前なら、優しいから許してくれるよな?」
恐怖で足がすくみましたが、私は本能で悟りました。ここに居てはいけない。
私は箱を放り出し、Kの横をすり抜けて蔵を飛び出しました。
背後から、Kの叫び声が聞こえました。
「逃げても無駄だぞ! お前にはもう染みついてるからな! 俺たちの穢れが!」
母屋の方からも、ご両親やお祖母さんが出てくる気配がしました。
私は靴も履き替えず、サンダルのまま無我夢中で山道を駆け下りました。どれくらい走ったか分かりません。通りがかった軽トラックに必死で手を振り、最寄りの駅まで乗せてもらいました。
運転手のおじさんに事情を話そうかと思いましたが、彼もまたあの集落の人間かもしれないと思うと、怖くて何も言えませんでした。
電車に飛び乗り、都会のアパートに帰り着いたのは深夜でした。
携帯を見ると、Kからの着信が数十件。そして、メッセージアプリには長文が届いていました。
『今日は帰っちゃって残念だ。でも、儀式は完了したから大丈夫だよ。箱は俺たちが燃やしたけど、中身の「穢れ」は、箱を開けたお前が全部吸い取ってくれたから。おかげで今日の夕飯は本当に美味かった。家族みんな、憑き物が落ちたみたいに晴れやかな顔をしてるよ。ありがとう。本当にありがとう。お前はずっと親友だ』
私はすぐにKの連絡先を着信拒否し、引っ越しをしました。
あれから数年が経ちますが、Kとは一度も会っていません。
幸い、今のところ私の身に直接的な呪いのような現象は起きていません。ただ、一つだけ変わったことがあります。
あの日以来、私は人の「悪意」に敏感になりすぎてしまったのです。
満員電車でイラついている人の殺意、職場で笑顔の裏に隠された嫉妬……そういったものが、まるで黒い靄のように可視化されて見えるようになってしまいました。
それを見るたびに、あの蔵の臭いと、Kの歪んだ笑顔を思い出します。
本当に怖いのは、幽霊や呪いではありません。「自分だけが助かりたい」「自分の罪を無かったことにしたい」そうやって平気な顔をして、親友さえも「生きたゴミ箱」として利用できる、Kやあの家族のような人間なのです。
Kの家族は今も、あの集落で「清廉潔白な善人」として笑って暮らしているのでしょう。私という犠牲の上に成り立った、偽りの平穏の中で。
皆さんも気をつけてください。普段から優しくて、文句ひとつ言わない友人が、ある日突然「実家に遊びに来ないか」と誘ってきたら。その人は、あなたを友人として招待しているのではなく、自分たちの「穢れ」を捨てるための、都合の良い容器を探しているだけなのかもしれません。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)