引き継ぎ帳

これは、本当に人に話しても微妙な反応しかされないので、どこかに残しておこうと思って書きます。

盛り上がりはないし怖い話として成立してるかも分からないですが、子どもの頃からずっと引っかかっていることです。

 

俺の実家は地方の細い道ばかりの住宅地で、町内会がまだ普通に機能してるようなところです。

回覧板やら祭りの係やら、いろいろ面倒な仕組みがあったんですが、その中でひとつだけ他の家にはなさそうなものがありました。

「引き継ぎ帳」と呼ばれるものです。名前からして町内会の書類のようですが、中身はまったく違います。

分厚いノートに、住民の名前と日付が延々と書いてあるだけ。

ノートは何冊もあって、うちはそれの“保管担当”だったらしく、居間の床下収納に綺麗に並べてありました。

 

初めて見たのは小学生の頃です。

 

なぜか親戚の子たちが興味を持って、「開けてみよう」と言い出して床下の扉を開けました。すると古い紙の匂いがして、古びたノートが十冊くらい積まれていた。表紙には「第一号」「昭和四十九年」みたいな手書きがある。

親に見つかったら怒られると思ってすぐ閉めたんですが、何冊かペラペラと見てしまった。

 

そこに書かれていたのは、ざっくり『訪問記録』『当番交代簿』『氏名簿(永久)』だったのだが、最後の「永久」という言葉が妙に引っかかって、ずっと忘れられなかった。

 

その晩、父にこっそり聞いたことがあります。

「床下にいっぱいノートあったけど、あれ何?」

父は一瞬だけ嫌そうな顔をして、「触るな、いいから忘れろ」と言いました。いつも穏やかな父がそう言うのが不気味で、それ以上何も聞けなかった。

 

高校になる頃にはその“引き継ぎ帳”のことなんて普段は思い出さなくなったんですが、一つだけ変なことが続いていました。

ときどき、夕方になると見知らぬ人が玄関に来るんです。スーツ姿のときもあれば作業服のときもある。男女問わずで、年齢もバラバラ。

誰もインターホン越しに要件を言わず、母が出ると、紙に何かを書いて渡して帰る。母はそれをそのままポケットにしまって、特に話題にもせず、普通に夕飯の準備に戻る。

父は全く気にしない。

俺は中学生の頃は怖くて近づけなかったが、高校のときに一度だけ後ろから見た。

 

紙には“俺の名前”が書かれていた。

書いた人は会ったことも見たこともない人だった。

 

それが何なのか聞いても、母は「うちの地区は昔からこうだから」で終わりだった。

その言い方は、意味を説明しない人間特有の“そこで話を止めたい感じ”で、深掘りできなかった。

 

大学で家を出て、就職して何年も実家に戻らなかった。実家と関わらないと、あの“引き継ぎ帳”も自然に忘れていった。

 

転機になったのは、数年前。

親が町内会の仕事で忙しいからと、俺に「引き継ぎ帳の束を一時的に持ってきてほしい」と連絡が来た。

久々に帰省し、床下収納を開けると、ノートの量が明らかに増えていた。昭和のものから平成初期のもの、最近のものまで並んでいる。

 

最新のノートを開くと、やっぱり名前と日付がぎっしり書かれていた。

ただ、見覚えのある名前もあれば、明らかにこの町に住んでいないような名前もあった。

「○○建設」「□□配管工業」といった会社名が付いているものもあって、名簿というより出入りの記録みたいだった。

 

そこで、ふと昔のノートを見たくなった。

昭和四十九年と書かれた分厚い冊子を開いて、ぞっとした。

 

俺が生まれる十年以上前のノートに、俺の名前が書いてあった。書式は全然違うが、漢字も読みもまったく同じ。日付だけが昭和五十年の夏になっていた。

俺はその頃生まれてもいない。

 

母にそのことを言うと、「だから言ったでしょ。うちは昔からこうなの」と返ってきた。
本当にそれだけだった。

 

問い詰めてもこれ以上何も出てこないと分かったのでその日は黙ったが、内心とにかく不気味だった。

“俺が生まれる前の時点で、もう俺の名前が引き継ぎ帳に存在していた”という事実が何より理解できなかった。

 

さらに言えば、昔の帳面に書かれていた“俺の名前”の行には、薄く鉛筆で線が引かれていた。

新しい帳面ではその線が赤ペンに変わっていた。線が何を意味するのか分からない。父と母は、そういった説明を一切しない。聞いても不機嫌になるだけなので諦めた。

 

それからしばらくして、実家から電話があった。

父が急に倒れたという。

幸い命に別状はなかったが、帰省したとき、居間のテーブルに一冊だけ開きっぱなしの引き継ぎ帳が置かれていた。

 

父の名前の欄に、赤い線が引かれていた。

 

母は「これで役が終わったから」とだけ言った。

役というのが何なのかは分からない。父は話したがらなかったし、母も終始曖昧だった。

 

ただ、その翌日、夕方に玄関チャイムが鳴き、見知らぬ男が立っていた。

俺を見るなり、紙を差し出して帰っていった。紙には俺の名前が書いてあって、日付はその日のものだった。

 

母はそれを受け取りながら、「しばらくは戻ってこなくていいよ」と言った。

意味を聞いても教えてくれない。ただ、今までで一番真剣な顔だった。

 

実家にはもう二年以上帰っていない。

 

あれが何の記録なのか、名前を書かれると何になるのか、“役”が終わるとはどういう意味なのか、未だに説明を聞けていない。

 

ただ、ひとつ気になってるのは、俺が生まれる前の旧帳面の方には、俺の名前の横に“もう一人分の線”があった。

それが誰だったのか、線が何を示しているのか、考えるのが最近怖くなってきた。

 

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