肉の面

私が40代半ばを過ぎた頃の話です。

 

岡山県の山間部にある、疎遠になっていた伯父の古い屋敷を相続することになりました。

 

伯父は独身を通し、親戚付き合いもほとんどなかったため、本来なら私のような遠縁に話が回ってくるはずもなかったのですが、他に引き取り手がいなかったというのが実情でした。

 

その屋敷は、いわゆる「古民家」という言葉では片付けられないような、異様な圧迫感のある建物でした。敷地の隅には小さな蔵があり、そこには先祖代々の品々が納められていると聞いていました。

 

私は不動産として売却する前に、中身の整理をするために数日間、その屋敷に滞在することにしました。

 

三日目の午後のことです。

 

蔵の二階、埃が積もった棚の最奥に、奇妙な包みを見つけました。

 

それは古びた麻布で何重にも巻かれ、その上からさらに「塩」を含ませたような、ゴワゴワとした質感の和紙で封じられていました。大きさは人間の頭ほどです。

 

その包みを解いてみると、中から出てきたのは一見すると木彫りの「面」でした。

 

しかし、その質感がおかしい。木にしてはあまりに生々しく、表面には細かな毛穴のような凹凸があり、触れると冬場だというのに、どこか微かな熱を帯びているような気がしました。

 

何より奇妙なのは、その面には「口」がなかったことです。目は細く見開かれ、鼻もしっかりと形作られているのに、口があるべき場所は滑らかな皮膚のような層で覆われていました。

 

私はそれを見た瞬間、言いようのない嫌悪感と恐怖を覚え、すぐにまた布に包んで元の場所へ戻しました。

 

その夜のことです。

 

寝ていた私の枕元で、誰かが「咀嚼するような音」を立てているのに気づき、目が覚めました。クチャ、クチャ、という、湿った肉を噛み切るような音です。

 

暗闇の中で目を凝らすと、部屋の隅に、昼間に見たあの「面」が転がっているのが見えました。

 

蔵に返したはずなのに、なぜここにあるのか。混乱する私の前で、その面の「口」がないはずの部分が、ひきつれるように歪み、そこから真っ赤な舌のようなものがチロチロと覗いていました。

 

私は悲鳴を上げて飛び起き、近くにあった毛布を被せ、さらに毛布で面をぐるぐる巻きにしました。

 

翌朝、近所に住む自治会の班長的な男性(仮にTさんとします)を訪ねました。

 

Tさんに蔵で見つけた面のことを話すと、彼はそれまで浮かべていた穏やかな表情を一変させ、ひどく震える声でこう言いました。

 

「あんた、あれを開けたんか。あれは面じゃない。あんたの家が代々、外に出せない『業』を食わせてきたものだ」

 

Tさんの話によれば、私の家系はかつて村で忌み嫌われるような仕事(お払い的な事)を請け負っており、その際に生じる「恨み」や「汚れ」を、あの肉のような質感を持つ面に食わせて封じ込めていたのだそうです。

 

面を使った現代でいう祓い屋的なものですが、あの面には口がありません。それは、「食ったものを二度と吐き出さない」という意味があるのだとか。

 

そしてTさんは私の先祖から聞いた話だが……と前置きし、代が途絶えたり、供養を怠ったりすると、面は自ら「口」を作り周囲の人間を食い始めるというのです。

 

続けてTさんは、「すぐに手放せ。だが、誰かに譲るのも捨てるのもいかん。専門の寺に預けるしかない」と助言してくれました。

 

私はその日のうちに紹介された近くの寺へ向かい、高額な供養料を払ってその面を預けました。

 

住職は毛布に包まれたそれを見ただけで「これはもう、限界まで膨らんでいる」と漏らし、一度も中を確認することなく、奥の堂へと消えていきました。

 

その後、私は屋敷を格安で手放し、二度とその土地には近づいていません。

 

しかし、今でも時折、夜中にふと目が覚めると、自分の口が「縫い合わされている」ような、強い圧迫感に襲われることがあります。

 

鏡を見ると何ともないのですが、指先で触れると、唇の境界線が以前よりも曖昧になり、肌が滑らかに繋がってきているような感覚があるのです。

 

あの時、住職が言った「限界まで膨らんでいる」という言葉。それは、器が一杯になったから、新しい「口」を求めているという意味だったのではないか。

 

最近、私は自分の顔を鏡で見るのが怖くて仕方がありません。

 

私の家系が背負ってきたものが、今度は私という肉体を使って、何かを「食おう」としているのではないか……。そう思えてならないのです。

 

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