これは私が大学生の頃、東北地方にある父方の実家へ帰省した際に体験した出来事です。父の実家は、地図にも載らないような小さな集落にありました。
そこには一風変わった、それでいて不気味な風習が残っていました。
その村では、お盆の時期になると「砂の膳」という儀式が行われます。
通常、お盆の供え物といえばキュウリの馬やナス、お菓子などが一般的ですが、その村では違いました。
どこの家庭でも、玄関の脇に小さな木箱を置き、その中に真っ白な砂を平らに敷き詰めて供えるのです。そして、その砂の上には一切の手を触れてはならず、ましてや足を踏み入れるなど言語道断とされていました。
私の祖父は、その儀式の意味をこう説明してくれました。
「これは、道に迷った『客人(まろうど)』たちが、お腹を空かせて立ち寄る場所なんだ。彼らは実体を持たないから、砂を食べることでその足跡を残していく。砂が乱れているのは、彼らが満足して帰った証拠なんだよ」
当時の私は、それを単なる田舎の風習、あるいは子供を脅かすための言い伝えだと思っていました。
しかし、ある夏の晩、その考えは根底から覆されることになります。
お盆の最終日、送り火を焚き終えた後のことです。夜の10時を回った頃、私は喉が渇いて台所へ向かいました。
その途中、ふと玄関の方を見ると、開けておいたはずのない引き戸が、ほんの数センチだけ開いていることに気づきました。
外は街灯もなく、深い闇が広がっています。
不審に思った私は、そっと玄関に近づきました。すると、玄関の脇に置かれた「砂の膳」の箱の周りに、ぼんやりとした青白い光のようなものが漂っているのが見えました。
好奇心に勝てず、私は息を殺してその様子を伺いました。
驚いたことに、木箱の中に敷き詰められた真っ白な砂が、まるで誰かが手でかき回しているかのように、ひとりでに盛り上がり、崩れ、不規則な模様を描き始めていました。
もちろんそこには誰もいません。風も吹いていませんでした。
それなのに、砂の上には「小さな指先で突いたような跡」が次々と刻まれていくのです。まるで、目に見えない無数の子供たちが、砂の中に指を突っ込んで何かを探り当てようとしているような、そんな動きでした。
私は恐怖で硬直しました。すると、その動きがピタリと止まりました。次の瞬間、砂の入った木箱の中から「シャリッ、ジャリッ」という、乾いた音が聞こえてきたのです。
それは、誰かが砂を咀嚼しているような音でした。姿は見えないのに、音だけが確実に存在していました。
その時に気づいたのですが、木箱から少し離れた玄関の土間に、濡れた足跡のようなものがありました。その足跡は、人間のものではありませんでした。指が3本しかなく、形も異様に細長い、奇妙な形をしていました。
「……何か、見えたか?」
背後から突然声をかけられ、私は飛び上がらんばかりに驚きました。
いつの間にか背後に祖父が立っていました。
祖父の顔は半分影に隠れて見えませんでしたが、その声は今までに聞いたことがないほど冷たく、厳しいものでした。祖父は私の腕を強く掴むと、無理やり奥の部屋へと引きずっていきました。
そして、私の耳元で低く呟きました。
「見てはいけないと言ったはずだ。彼らは食事を邪魔されるのを一番嫌うんだよ」
その夜、私は一睡もできませんでした。
翌朝、玄関の木箱を確認すると、あれほど綺麗に敷き詰められていた砂は、まるで獣が暴れた後のように無惨にかき乱され、半分ほどに減っていました。
不思議なことに、その日から私の右足の裏に、小さな円形の痣が三つ、三角形を描くように現れました。
痛みも痒みもありませんが、お盆の時期になるとその部分だけが異常に冷たくなり、まるで砂を踏んでいるような、ジャリジャリとした感覚が足の裏から伝わってくるのです。
祖父が亡くなった後、実家は取り壊されましたが、あの村の儀式が今も続いているのかは分かりません。ただ、私は今でも、夜中に暗い場所で砂が擦れるような音が聞こえると、あの「客人」たちが私のすぐそばまで食事を求めてやってきているのではないかと、背筋が凍るような思いがするのです。
これが、私が体験した最も奇妙で、説明のつかない出来事です。あの痣は今も消えず、私の足の裏に残ったままになっています。
著者/著作:怪文庫【公式】X(旧Twitter)