諍いを消す者

先日他界した父の話です。

 

もう随分昔の出来事だそうですけどもね、こうして機会を頂いたので、少しお話しさせてもらいますね。

 

私の父の故郷ってのが、ちょっと変わってるというかクセがあるというか。山中の集落だったんですけど、その集落ぐるみで不思議な像を祀ってたらしいんですよ。

 

御仏像でも似たようなのがあるんですが、木製の…手を広げて伏目に微笑んでいる菩薩様のような出で立ちの像でして。等身大の人間くらいの大きさのソレを、蔵ほどの規模の建物の中に置いて祀っていたそうです。

 

といっても集落の家々で年毎に当番を決めてお供えと像や建物の掃除をして、他の者は思い思いに参拝やお供え物をしていく…という感じで、信仰者の集会とかが厳密にあったわけではなかったみたいですけど。

 

いつから集落がその像を祀っていたのかは父にもわかりません。

 

小学生だった当時大人たちに聞いても「自分が子どもの頃から既にこのようにあった」と言われるばかりだったそうで。

 

ただ、こうも言われていました。

 

「この像に願いをこめて祈りを捧げ、振り返らずに去ると、諍い事がキレイに消える」

 

私は最初にこの文言を聞いた時、不思議な言い回しをするなぁと思ったんですよ。

 

『振り返らずに去る』というのも気になったんですが、諍い事や悩みって、大抵『消える』と言わず『解決する』とか言いません?

 

でね、父に聞いてみたら、渋りつつも顔を真っ青にしながら教えてくれました。

 

父もね、かつて祈ったことがあったそうなんですよ。その像に。

 

小学生同士のささいなケンカでした。

 

隣町の他校の上級生と取っ組み合いをして、友達がケガをさせられて、頭に血が上ったまま父の足は像がある建物へと向かったそうです。

 

普段から施錠されてない扉を潜って、慈愛の表情を浮かべて動かない像の前に膝をつき、いつか大人たちがしていたように両手を組み頭を下げる。

 

憎き相手の顔を思い浮かべ、歯を食いしばりながら、組んだ両手を震えるほど握りしめて、「言い伝えが本当なら、この諍い事、消してみせろ」と父は何度も何度も念じました。

 

当時の父も、集落の大人たちが言っていたのは「祈れば良いことが起きる」程度のものだと思っていて、祈ったのも翌日画策していた上級生へのリベンジに向けた願掛けの気概だったそうです。

 

そうして蹲っているうちに昂ってた気持ちが落ち着き、冷静になったところで家に帰るかと立ち上がり踵を返した、その時。

 

ズルズル

 

ズルズル

 

背後にある像の方から、聞きなれない音がしました。

 

ピタリと足を止める父。身体を止めてしまえば、余計に耳は背後の異音を拾うようになるもので。

 

ズルズル。自分や像より大きい質量の何かが、木製の床を這う拍子に擦れる音。

 

ビチャビチャ。粘着質な液状の何かが這った床に零れる音。

 

ゴツ、ゴツ。硬い物質が木製の床を踏み鳴らすように叩く音。

 

生暖かい風圧とともに耳が拾う、低い低い唸り声のような音。

 

段々大きくなるそれらの音で背後にいる『何か』との距離を察した父は、それでもその場から微動だにできませんでした。

 

明らかに人間から発せられるものではない音と気配に、心底から恐怖を感じたのだと。

 

そうして身体が竦んでいる間にも、背後の『何か』はズルズルと這いながら迫り、視界の端に黒光りするゴツゴツとした巨大な虫の足のようなものを捉えた瞬間、

 

「向かないのか」

 

ギチリと鋭い歯が噛み合わさるような音の隙間から漏れる、吐息と分かるほど耳元まで近づいた生暖かい風圧。それはしっかりと理解できる音を発し、拍子に父は弾かれるように建物から飛び出しました。

 

道中転んだり叫び声を上げたり、集落の人間とすれ違ったり呼び止められたりしたかもしれませんが、もうその辺りは父も覚えてないと。まあ、こんな経験をすれば当たり前ですよねぇ。

 

それからは一目散に家へと駆け込み、半狂乱の父を心配する家族に目もくれず、押し入れに籠りそのまま丸々一日過ごしたそうです。

 

籠城している間も、父はずっと背後の存在とそれが迫ってきた事実を思い出し、気が狂わんばかりの憔悴を味わい続けました。

 

しかし、大変だったのは翌日…父が家族に押し入れから引きずり出されてからでした。

 

一睡もできず疲弊しきった父が家の玄関で対面したのは、隣町からきた警察。

 

聞かれたのは、昨晩どこで何をしていたのか。

 

あまりに顔色が悪かった父に配慮したのか、大人にだけ聞こえるようにと落とした声量で警察が語ったのは、昨日ケンカした上級生が現在行方不明になっているというものでした。

 

いなくなったその子の自室におびただしい量の血だまりと、噛み千切られたような断面の足首一本がベチャリと落ちていなければ、ただの不良っ子の家出だと思われたのですがね。

 

警察は、父や父の友達が前日にその子とケンカした情報は得ていたのですが、明らかに子どもの所業ではなかったのであくまで確認の聴取だったみたいです。

 

まあそもそも父は夕方に帰宅してからこの瞬間まで家の押し入れの中にいたし家族もそれを証言したので、いわゆるアリバイもすぐに成立しましたしね。

 

でも、当時の父には親や警察のそんな会話はほとんど意味を成しませんでした。

 

脳裏に浮かぶのは昨日の夕方の、建物での出来事。

 

背後に迫った異形の存在。

 

「『何か』が上級生を足首だけ残して喰ってしまったんだ」と思うのと同時に、父は「あの時振り向いていれば恐らく俺が喰われていた」とも思いました。

 

「多分上級生は自室であの音を聞いて振り向いたんだ」

 

「きっと『何か』にとっては、喰えるのなら、俺でも上級生でもどちらでも構わなかった」

 

だってどちらを喰ったとしても、諍い事は言い伝え通り『消える』のだから。

 

後日、父はあの像の元へお供えをしに行ったそうです。

 

あんな形でも祈りは届いて願いを叶えてもらったことになるので、見返りがもらえなくて怒った『何か』に今度こそ喰われるのも嫌なので、貯めてたお小遣いを全部はたいて買えるだけの饅頭をお供えしたんですって。

 

それからは何事も起きず、父も建物に寄り付かなくなり、県外に就職して親が他界してからは集落へ里帰りもしていないそう。

 

この時の出来事は友にも、両親にも話さなかったと。

 

ここで私が聞き出さなければ、きっと父は墓まで持っていくつもりだったのでしょう。

 

父は震える両手を祈るように組み、擦り合わせ、絞り出すように語っていました。

 

『何』が諍いを消したのだろう。あの時『何』に願い、祈ったのだろう。集落の者たちは、一体『何』を崇めて祀っていたのだろう。と。

 

行方不明の上級生は、足首以外いまだに見つかってません。

 

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