毎朝、通勤途中の駅で見かけるサラリーマンがいた。
彼はスーツ姿で、年齢は三十代半ばくらい、髪は短く整えられ、眼鏡をかけている。
目立つ特徴はないが、毎日同じ時間、同じ場所に立っているため、自然と目に入るようになった。
何をしているのかといえば、彼は特に何もしていない。
ただ、電車を待つわけでもなく、改札を通るでもなく、ホームの端の方でスマホを見たり、ぼんやりと立っていたりするだけだった。
最初は気にもとめなかったが、ある日、会社の昼休みにふと外を歩いていると、彼を見かけた。
「……あれ?」
場所は駅から数キロ離れたオフィス街のビルの前だった。彼はビルのガラスに映る自分をじっと見つめていた。
私は少し不思議に思いながらも、そのまま通り過ぎた。
しかし、その日の帰り道、また彼を見た。
今度は駅近くのコンビニの前で立っていた。仕事帰りの人々が行き交う中、彼はじっと道路の向こうを見つめている。
「いや、ただ背格好が似てる人だろさすがに…」
そんなことを考えながら、その日は家に帰った。
次の日、私は少し気になって、朝の駅で彼の姿を探した。
やはり、彼はいた。
いつもと同じように、何をするでもなく、そこに立っている。私は彼の様子をしばらく観察したが、やはりただぼんやりと立っているだけだった。
「無職なのかな?」と勝手な推測をしつつ、私は電車に乗り、仕事へ向かった。
しかし、彼を見かける頻度は日ごとに増えていった。
昼休み、コンビニでお茶を買っていると、レジの向こうの窓から彼の姿が見えて釣りを落としそうになった。
ただまた見上げるといなかった。
仕事終わり、ふと立ち寄ったカフェの外にも彼はいた。追うわけにもいかず、まごついているとスッと通りに紛れていった。
そしてついに、ある日の夜、自宅近くの路地で彼を見た。
「…おいおい、さすがにこれはおかしいって…」
怖かったが、私は意を決して彼に話しかけることにした。頭の変な男が、私をストーキングしてるんじゃ…と思い始めたからだ。
あと、単純に幻覚や他人の空似じゃないと確認したかった。私は学生時代運動部にいたこともあって、何かあっても負けることはないだろうと思った。
「あの…すみません」
彼はゆーっくりとこちらを向いた。
「…はい?」
間近で見ると、彼の顔にはまったく表情がなかった。
まるで人形のように無機質で、生気を感じさせない。それだけで「あ、普通の人間じゃない。病気か、もしくは幽霊とか…」と直感した。
「ええと…その、よく見かけるので…」なんて言ったらいいかわからなかったが、とりあえずそう切り出した。というかそれ以外の切り出し方がわからなかった。
彼は数秒間私を見つめ、「そうですか」とそれだけを言うと、踵を返し、ゆっくりと歩き去っていった。
拍子抜けしたし、安心した。
それにしても、あまり印象に残らない声だった。
それから数日、彼の姿をまったく見かけなくなった。
いつもの駅にもいないし、オフィス街にも、コンビニの前にもいない。
不思議な安堵感。やはりストーカーだったのかなと思った。思い切って話しかけてみて良かったなとすら思った。
しかし、数日後、私は別の駅で彼を見かけた。
ホームで待っている間、ふと顔を上げると、向かいのホームに彼が立っているのを見つけたのだ。
彼はこちらに気づいていないようだった。
しかも、以前とは違い、彼は誰かと話していた。
いつもと違って、無表情ではない。あきらかになにかに困惑したような表情が彼にあった。
目の前の人間になにかを問いかけているようだった。
生気が無い普段見ていた彼とまるで別人格のようだった。
その彼が話している相手……それに気づくまで時間がかかった。
だってまさかそんなことあるはずないのだから。
それは、「私」のようだった。
あの髪型にあの顔、姿勢、背丈。着ているものや身につけているものだって…そうだ、今私が持っているものとそっくり同じ…。
一気に鳥肌がたった。なんだ、これは?今私は何を見ている?スーツを着た私が、彼と向かい合って話している。
私は凍りついた。しばらく一歩も動けなかった。
何分見続けていても、それは確かに、私自身だった。
ただ、そこにいる「私」は、どこか無表情で、生気のない顔をしていた。
まるでこの間までの彼のように。
その彼は今現在、生気のない私に話しかけている。なにかを問いかけている。困惑した顔で。
なんて聞いたら良いか迷うように。……そう、まるでこの間の、彼を問いただした時の私みたいに。
…。
そんな事考えていると、違うホームに入る電車の音が、私を現実に引き戻してくれた。
私はビクッと飛び上がり、その場から逃げるように立ち去った。
次の日から、私は彼を見ることがなくなった。
本当に奇妙な体験だった。
今では少し懐かしい思い出ではあるが、確かそれ以降だと思う、私が伏し目がちに歩くようになったのは。
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